アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

悟りの説明=クリシュナムルティ

2017-11-24 03:09:44 | 只管打坐
◎悟っている人は少ない

クリシュナムルティの悟りは只管打坐によるもので、身心脱落だが、それは、クンダリーニ・ヨーガの悟りとは全く異なっている。

だが、最初に出てくる只管打坐による悟りについてすら、現代の社会人、学生が想像するのもあまり容易ではないみたいなので、改めてクリシュナムルティの悟りの説明を見てみる。

クリシュナムルティは、以下の文章で、悟りのことを「真の沈黙」「生きた心」と表現している。

『真の沈黙がどういう沈黙であるか、私がそれについて説明するのをあなたは待ちもうけている。そしてそれをきいてから後で、他の沈黙と比較し、解釈し、身につけ、あるいは捨てさろうとしている。

だが、言葉で説明できるのは既知のものであり、既知のものや精神的苦痛、へつらい、これまでにつくり上げたすべてのイメージ、すべての経験を毎日超越し、脳細胞が新しく若く天真爛漫になるように毎日死ぬときにはじめて、既知のものからの自由が存在しうるのである。

しかし、その新しさ、天真爛漫さ、優しさと柔和さは愛を生みださない、それはまた美や沈黙の資質でもない。

真の沈黙が騒音がないという沈黙ではないということは、問題のきっかけを与えるものにすぎない。

それは小さな穴を通り抜けて、巨大な広々とした大海―――測ることのできない時間を超えた状態に達するのと同じである。

だが、意識の全構造を理解し、快楽や悲しみや絶望の意味を把握しなければ、そして脳細胞自体が平静になったことを理解しなければ、そのことを言葉を通じて理解することはできない。

おそらくそのとき、あなたはだれもあなたに解き明かすことのできない、何ものも破壊することのできない秘密を知ることができるであろう。

生きた心は静かな心であり、生きた心は中心も空間も時間ももたない心である。こうした心は無限の広がりを有しており、それは唯一の真理、唯一の真実である。』
(自己変革の方法/クリシュナムーティ/霞ケ関書房P230-231から引用)

このように、悟りとは、生きた心であり、生きた心は静かな心であり、生きた心は中心も空間も時間ももたない心である。

悟りとは、こうした神秘体験であるが、解明不能で、破壊不能なある秘密があるがゆえに、体験とはいえない体験と称せられる。

今、仮にこうした人が、各小学校の学区に一人とか、各商店街に一人とかいれば、こんな時代にはなってはいない。
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