◎吉田神社と道教
高校の古文と言えば吉田兼好の徒然草である。吉田兼好は吉田神社の神主であった。
さて吉田神社はもともと何の変哲もない神社だったが、応仁の乱の戦火も消えやらぬ室町時代末期に吉田兼倶(かねとも)が出て、あらゆる手段を駆使して、当時最有力であった神祇伯白川家の神道を抜いて、実質的な日本国の神道総本山の地歩を占めるに至った。
吉田兼倶は、伊勢神宮の外宮の火災でご神体紛失の噂が出たことを奇貨として、朝廷に対し、吉田神社に神代の神器が出現したと報告した、さらには伊勢神宮の神々が潮に乗って吉田神社にお移りなった。その証拠として、ひそかに加茂川の上流に塩俵を埋めて、加茂川の水まで塩辛くなったという風評を流し、さらには吉田家が神祇伯中臣家から出ているとする家系図まで創作するなど、ありとあらゆることをやった。
さて京都吉田山の南に吉田神社の末社の一つ斎場所大元宮がある。大元宮の特徴は、祭神が天神地祇八百万神なので、ここにお参りすれば、全国の神々に参拝したのと同様の霊験が得られるとされる。
大元宮は、八角堂ともいい、本殿が八角形であり、道教の八角の先天図をモチーフとしていることが連想される。
吉田兼倶は、唯一神道名法要集で、宗源とは何かという質問に対し、
『宗とは、一気未分の元神を明らかにすることであり、万法純一の元初に帰すので、これを宗という。
源とは、和光同塵の神化を明らかにする故に一切利物の本基を開く、これを源という』とあり、
一気未分の元神とは、先天一気という道教の宇宙での窮極をイメージさせるものがある。
また元神は、内丹術において、肉体を離脱して昇天する主体とされているものでもあり、これまた道教用語である。
このように、吉田兼倶は、神仏習合がいわば既成事実(和光同塵)であった当時の考え方を背景に、神道にはなかった元神や純一という知的にこなれた表現を用いて、吉田神道の窮極を説明していることから、意外にも道教の影響を濃厚に受けていたのである。





1日1善。1日1クリ。 
高校の古文と言えば吉田兼好の徒然草である。吉田兼好は吉田神社の神主であった。
さて吉田神社はもともと何の変哲もない神社だったが、応仁の乱の戦火も消えやらぬ室町時代末期に吉田兼倶(かねとも)が出て、あらゆる手段を駆使して、当時最有力であった神祇伯白川家の神道を抜いて、実質的な日本国の神道総本山の地歩を占めるに至った。
吉田兼倶は、伊勢神宮の外宮の火災でご神体紛失の噂が出たことを奇貨として、朝廷に対し、吉田神社に神代の神器が出現したと報告した、さらには伊勢神宮の神々が潮に乗って吉田神社にお移りなった。その証拠として、ひそかに加茂川の上流に塩俵を埋めて、加茂川の水まで塩辛くなったという風評を流し、さらには吉田家が神祇伯中臣家から出ているとする家系図まで創作するなど、ありとあらゆることをやった。
さて京都吉田山の南に吉田神社の末社の一つ斎場所大元宮がある。大元宮の特徴は、祭神が天神地祇八百万神なので、ここにお参りすれば、全国の神々に参拝したのと同様の霊験が得られるとされる。
大元宮は、八角堂ともいい、本殿が八角形であり、道教の八角の先天図をモチーフとしていることが連想される。
吉田兼倶は、唯一神道名法要集で、宗源とは何かという質問に対し、
『宗とは、一気未分の元神を明らかにすることであり、万法純一の元初に帰すので、これを宗という。
源とは、和光同塵の神化を明らかにする故に一切利物の本基を開く、これを源という』とあり、
一気未分の元神とは、先天一気という道教の宇宙での窮極をイメージさせるものがある。
また元神は、内丹術において、肉体を離脱して昇天する主体とされているものでもあり、これまた道教用語である。
このように、吉田兼倶は、神仏習合がいわば既成事実(和光同塵)であった当時の考え方を背景に、神道にはなかった元神や純一という知的にこなれた表現を用いて、吉田神道の窮極を説明していることから、意外にも道教の影響を濃厚に受けていたのである。





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