アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

見ている自分を残す

2014-04-12 03:42:44 | ザ・ジャンプ・アウト
◎至道無難の見解

厳しいかもしれないが、見性(神や仏に出会う)しても、見ている自分が残っているのだが、そのままでは霊がかりに落ちる可能性を残している。

さて大悟一番して、世界は変わった。しかし、見性と、なにもかもなし=絶対無では、まったく異なるものである。私の見るかぎり端的な表現をすれば、見性は、もとに戻る可能性が大いにある。そして、見性は、見ている自分を残していることで、一歩道を誤れば、大悪人となる可能性すらあるということ。

つまり西洋で堕天使などというが、見性してもそういうものに身を落とすケースがあることを禅マスター至道無難は東洋の果てで見抜いていたのだ。ポイント・オブ・ノーリターンの直前で引き返す可能性を。

見ている自分を残すというのは、別の言い方だと、霊がかり。霊がかりとは、霊能力者のことだが、最後の最後で、自分を手放せない人。この辺が霊がかりをやめようという主張の根拠となる。

至道無難が、龍澤寺所蔵法語の中で、ある頭の良い子供が「仏とはいかなるものか」と訊いてきたので、坐禅をさせたら何の心もなくなった。それを常に守ればよしと教えた。しばらくして、いろいろになった心を問うたら子供は納得して去ったという。

これについて至道無難は、『男女に限らずまず見性させてから坐禅すべきである。見性が十分にできたら、万事に対応することを教えよ。

悟ったと同時にそれを守らせよ。そうすれば悪念が出ることはない。長年この心を養えば道人となる。

悟ったと同時に万事はこれだと教えると、大方悪人になるものである。悟りばかりを守る人は、大方坐禅にとりついて律宗になるものだ。
大道を早く教えて良い場合と、早く教えて悪い場合とその人によって異なる。よくよく心得て教えなさい。誤ってはならない。』とする。

文中の道人とは、十牛図第八の完全な悟りを得たひとのこと。

大道を早く教えて良い場合とは、精神の成熟度もあるが、その人の寿命というのもあるのだろうと思う。

早熟の禅者大燈国師が、鎌倉で若くして見性して後、20年京都鴨川の河原で乞食修行をしたのもこの見性後の世間修行にあたる。

この伝で理想の教育のありかたを考えれば、14,15歳の思春期までに見性、それから高等知育を授けるというのが、人間教育の王道であって、今の時代はこんなことは無理だが、次の時代は、この基本線で教育がなされるのだろうと思う。

さて至道無難-正受慧端-白隠慧鶴と法は継承されたが、代が下るにつれて、その徹底ぶりは、下がっているように感じるのは私だけだろうか。なるほど、師匠をしのぐ弟子を出すというのはむずかしいことである。

【チャクラと七つの身体-144】
◎アストラル体-13
1.霊がかりを排す-13
【ザ・ジャンプ・アウト198】

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