アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

人生を逆順に見る

2019-08-17 06:28:45 | 究極というものの可能性
◎結果を先に見て原因を改める

映画やドラマを逆回しにして見ても、音声は聞き取れないし、動作は奇妙なので意味不明なことになる。

だが、音声も動作も出来事もわかる状態で逆回しで見れるシチュエイションがある。

それは、前世記憶を見る場合である。これはOSHOバグワン(死・終わりなき生)が語っているのだが、自分の人生を遡って行って、3歳付近のことを思い出し、出生時のことを思い出すと、やがて子宮を選ぶシーンも見る。

その次に前世における自分の死を見て、前世で離婚したのならば、離婚して、子供ができて、結婚して、恋人になって、また我が少年時代を見るというように、結果を先に見て原因を後で見る。

こうした前世を逆順に見ることは、大悟覚醒した後に、いわゆる宿命通を発揮した場合に見ていくことができるという。

この例で言えば、前世で離婚を経験した場合、離婚の原因は既に結婚の時にあったことを悟るもの。結婚の時に、あるいは恋人の時に、既に後に離婚に至るパートナーへの敵意があったことを見るのだ。

また実は、人生を逆順に見ることは、老人の誰もがやっていることであって、前世を遡行する宿命通を開いた人だけの能力ではない。

離婚に限らず、人生上の成功、失敗のほとんどが、その原因を事件の種の段階にあったことを後で知ることができるものだ。

この意味で言霊の意義はあだやおろそかにできないものだとつくづく思う。物事の始まりに、茶化した余計なことは言ってはならないと思う。

人生上の出来事は、職業生活、家庭生活などいろいろなシリーズがあるが、種から若葉、小枝が出て、花が咲き、実をつけ、最後は種が落ちると進むが、種の落ち方は最初の段階でほとんど決まっている。よって「最初」にはよくよく気をつけねばならない。

そんな訳で、前世記憶そのものがそんなに愉快なものではなかろうというのは誰でも想像がつくのではないだろうか。

また人生上の出来事をうまくやろうとして、メリット・デメリット優先のテクニックに奔るより、無私、素直が基本線であることも間違いないのだと思う。

いろいろ逆っぽいことを並べて書いたが、「それ」は簡単なことではないという面がある。
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