アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

6.悟りへの階梯-6

2009-03-31 05:21:10 | 夢と真実
◎体験ではない何かが起きている

〈(1)十牛図の続き〉

第七 忘牛存人

頌(廓庵禅師)
牛に乗ってもう家に到着することができた、
牛は姿をみせず、人ものんびりしている。
朝日が高く昇るころになっても、まだ人はゆめうつつ。
鞭と手綱は草屋に置きっぱなしである。

牛が消えてしまったので、人間の体験としてのアートマン(牛)はなくなった。アートマンとの一体化は、個人、個性としての自分のないところにある。

端的にこれを示したと思われる文がクリシュナムルティにある。

『今朝早く途方もない力と美と清廉さを感じながら目覚めた。それはたまたま起こった何か、過ぎ去った体験、夢の中でのこととして、目覚めた時に覚えている体験といったものではなく、何か実際に起こっていることであった。人は何か完璧に清廉であるものに気づいた。その中では堕落して荒廃するいかなるものも存在し得なかった。

それはあまりにも測り知れなかったので、頭脳はそれを捉え記憶することはできなかった。そのような「清廉さ」の状態が存在していると機械的にただ記録することができるだけである。

そのような状態を体験することは、大変重要である。それは限界を持たず、触れられず、入り込むことができずにそこにあった。

その清廉さのために、その中には美があった。それは色褪せていったり、何か人の手によって作り上げられた美ではなく、美を装う邪悪さでもなかった。

人はその現存の中にいっさいの本質が存在することを感じ、従ってそれは神聖であった。それは何ものも滅びることのない生であった。死は清廉なものだが、人々はそれを、彼にとってまさに生がそうであるように、腐敗したものに変えてしまう。

それらすべてと共に、何ものも砕くことのできないあの山のように堅固で、どんな犠牲も祈りも美徳も触れることのできない力と強さの感覚があった。』
(クリシュナムルティの神秘体験/クリシュナムルティ/めるくまーるから引用)

個人の体験ではなく、何かが起こっている。しかし、それはそこにある。これが、忘牛存人の実況生中継だろうと思う。

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4 コメント

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思考伝播 (アイリス君)
2009-04-03 09:43:31
すみません、まったく、違う話題なのですが、テレパシーと、シンクロニシティは、同じことなのでしょうか?よろしければ、貴方の考えを、お聞かせいただけないでしょうか?
アイリス君 (湖南)
2009-04-04 07:55:14
時間のない世界を生きる人にとっては同じことでしょう。
ありがとうございます (アイリス君)
2009-04-04 09:20:50
ありがとうございます。ただ、その世界は、苦しいのでしょうか?統合失調症の者も苦しいと思うのですが、いかがでしょう?
アイリス君へ (湖南)
2009-04-06 19:30:44
時間のない世界を生きる人とは、「今ここ」を生きる人です。それが人間の体験ならば苦もあるでしょう。

過去ログも検索して読んで見てください。

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