アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

『ヒマラヤ聖者とともに』読後

2018-01-15 03:13:04 | 究極というものの可能性
◎現世的な欲望を断ち生死を超える

『ヒマラヤ聖者とともに/スワミ・ラーマ』と『ヒマラヤ聖者 最後の教え (上・下) スワミ・ラーマその生と死』の3冊を読了。

例の本家ババジの手元で幼少から育てられたサラブレッドがスワミ・ラーマ。スワミ・ラーマの自叙伝が、『ヒマラヤ聖者とともに』で、スワミ・ラーマの高弟によるスワミ・ラーマの伝記が『ヒマラヤ聖者 最後の教え』。

日本でもインドでも未悟であっても、それなりに求道者はリスペクトされるが、お布施や食べ物までちゃんともらえ歓迎されるのはインドである。日本ではやや敬遠されているというところか。

スワミ・ラーマは冥想するしかない完全密室の洞窟で、11か月を冥想三昧し、ニルビカルパかサビカルパのどちらかは知らないがサマディーに入ったが、例の神人合一までは行っていないような印象を受けた。

スワミ・ラーマは、何しろ十数年限定で肉体をもって降臨したババジに手ずから養育された人物なので、その見識は相当なものだ。

彼の生涯の一つの目標が、ババジの師であるチベット在住のグランド・マスターに載っている肉体を変えるという技を見せてもらうことだった。

果たしてグランド・マスターが、死んだばかりの若い男の死体が川上から流れて来るのを事前に予知し、今までの老いた肉体を棄て、その若い死体に入って、その男の肉体でひき続き人生を続けるのを目撃する。

スワミ・ラーマの評は、名前は肉体に付属するが、魂は死をはさんで継続する。

これ以上の説明は何も書かれていないが、エーテル体は死後まもなく崩壊するのだろうからアストラル体以上が入っていくのだろう。

スワミ・ラーマはあれほど実地に見たがっていたわりには、感想は無味乾燥である。

定番な考え方の、悟れば輪廻から解脱できるなどというのは、いわばアマチュア的見解で会って、ヒマラヤの高級修行者連の間では、誠に生死自在、出たり入ったりというのが普通に敬虔に真剣に行われている。転生は、まだ到達していないから起こるという考え方は単純に過ぎるかもしれない。

それと読心術のすごさ。自分が名乗らなくても、名前も当てるし、本人は口で話したことと逆のことを考えているのに、その何を考えているかも当てるような修行者は、善人でも悪人でもいるし、そういうのを相手にするのは、一切隠し事ができないので、なかなか骨が折れることである。

それと、超能力、霊能力、物質変成の奇跡話が、これでもかこれでもかと出されるので、やっぱりアメリカ人向けに書かれた本かなと思った。
真剣な求道者であれば、それにはこだわらないはずだから。

彼は、最初は、現世的な欲望を断つ修行を行い、次に本当に生死を超えられる現実をいくつも目の当たりにした。

内容的には、真摯な求道者向けの本であり、世俗願望を実現したり、病気を治したいというような人には、消化不良な本だろうと思った。

きわめて濃厚な内容の本であり、かつ霊がかりでない、久々に珍重されるべき本が出ていたという印象だった。

ただヒマラヤの僧たちがなぜそういう行動をとるのかや、なぜ生死を問題にしないのかはほとんど説明しておらず、その辺はこの本が、いわばプロ向きの本であり、初心者の方にはとっつきにくいところが多いのではないかと思った。

彼はOSHOバグワンとほぼ同時代にアメリカで活躍したが、コミューンは作らなかったので、毒を飲ませられるようなことはなかったのだろう。
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