アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

修験道フリー・ウェイ-14

2006-12-11 04:49:08 | 修験道
◎修験三十三通記-12
(深秘分第三、無作三身大事)

いったい修験で言う無作三身とは、本来この身は仏であるが故に、このままで(無作)三身(法身、報身、応身)であるということ。あらゆる生き物の精神や肉体などすべての存在がそれぞれがニルヴァーナ(仏)そのものであり、偏っておらず、遍満しており、常住普遍である。これが法身である。

次に各々の法身に、もとより覚っていることの徳があって、明瞭にはっきりしている。これを報身と呼ぶ。

次にその報身であるところのあらゆる生き物それぞれの精神や肉体などは、おのおのその徳の働きを施している。つまり天はあまねく地上を覆い、地は遍く万物を載せている。水は万物を湿らし、風は万物を生み出し、火は万物を焼き、食は飢えを止めるなど、皆これ無作の応用(報身)の働きである。

仏界から地獄界までの十界の過去のカルマにによって得た心身(正報)やそれを取り巻く国土山川草木などの環境(依報)というもの、また精神や肉体の二区分が厳然として動じないことが、このままでいい(無作の三身)ということである。

風は樹木の枝を鳴らし、波は砂や石を打つ。これらの窮極の世界(法界)の音は、このままでいい(無作の三身)という説法である。

それで、最澄によれば、悟るための修行をして法身や報身になるというのは、夢物語(夢中の権果(かりそめの現れ))であり、このままで窮極の実在である(無作の三身)というのは、悟りを開く前のほんものの仏であるという。

全体として修験三十三通記に特徴的な窮極の側、つまりニルヴァーナ、仏の側から見る視点からの説明である。この説明を知的に理解しても、人生を生きる意味が見つかったり、その虚しさを解決する鍵が手に入ったりするわけではない。それは、人間の側にそもそも解決などないからであることを、心して読まなければいけないからである。


    1日1善。1日1クリ。

不動明王立像(神童寺)


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2 コメント

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はじめまして (ayumiyori)
2006-12-11 13:36:40
トラックバックありがとうございました。
オームなブログですね。。。

れびの方から、秦経由で来ました、
というところでしょうか!

ayumiyori殿へ (湖南)
2006-12-11 20:10:24
はじめまして
コメントありがとうございました。

精神世界の代名詞がオームでなくなる日を待望していますが、なかなか。

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