アヴァンギャルド精神世界

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死を経験した肉体

2012-01-25 05:43:42 | 古神道の手振り
◎出口王仁三郎の高熊山修業後の体調

出口王仁三郎ファンなら、霊界物語の最初の方に出てくる、出口王仁三郎が高熊山の洞窟で飲まず食わずの修行をするところまでは、大体読んだことがあるに違いない。
これは断食断水を伴った一週間のクンダリーニ・ヨーガ的冥想修行であって、六度あった死のうちの彼の最初の死はこれであったに違いない。

ここではその後の体調に注目する。
(喜三郎=出口王仁三郎)
『高熊山で霊的に覚醒し、山から下りてきた喜三郎は、しかしすぐにひどい病気になり、動くことも話すことも、目を開けることすらできなくなってしまう。家族は基本的に妙霊教の信者ではあったが、喜三郎のために様々な宗教の癒し手に頼った。ある除霊師は喜三郎の頭の回りで騒々しく拍子木を打ち鳴らしたし、ある僧侶は、日蓮系の宗派に共通する「南無妙法蓮華経」という題目を唱えながら、喜三郎の頭や尻や手足を数珠で叩いた。太鼓を叩きながら喜三郎のまわりをぐるぐると回るものもいた。家族は喜三郎に狐か狸が憑いたと考え、その霊を追い出すためにとうがらしや松葉を喜三郎の鼻の下で焚いた。そして、母親の涙が喜三郎の身体に落ちたときから、急速に回復したと王仁三郎は書いている。

高熊山での体験を経た王仁三郎は、世俗の仕事を捨て、霊の神秘を解き明かすことに人生を捧げる決意をする。瞑想を行い、見つけられる限りの霊能力者に教えを請うた。』
(出口王仁三郎帝国の時代のカリスマ/ナンシー・K・ストーカー/原書房P51-52から引用)

死から奇跡的に回復したと言っても、なかなか本復するものではないだろう。よく心停止から○分たつと脳細胞の何割が死滅して云々といわれるように、肉体は壊滅的な打撃を受けるものだから、よくぞこのような状態から回復したものだと思う。
この部分が、腕の確かなグルなしでのクンダリーニ・ヨーガは危険極まりないと言われる部分。しかしながら、真正のグルはこの痛んだ肉体のケアも間違いなくできるものだと思う。チベット密教のポワでも、死後の肉体の回復という課題については全く同じことなのだろうと思う。

出口王仁三郎は肉体を持たないグルにこの時出会っている。
出口王仁三郎は、高熊山で、洋服姿の天教山の皇大神の神使松岡と出会っていた(霊界物語19巻)

天教山(富士山)の皇大神といえば、国祖野立彦神、野立姫神が、火口に身を投げたことで知られるが、この二神の神使が、松岡であろう。
二神がその火口に身を投ずる様は、生道人(なまどうじん)の想像できるようなものではない。「神格偉大にして、神徳無辺なる淤能碁呂島(オノゴロ島)の御本体ともいふべき野立彦神、野立姫神においては、我が身の一端ともいふべき天教山の烈火の中に投じ給ふは、易々たるの業なるべし。」(霊界物語第六巻)



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