アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

坐禅儀での禅の効果

2016-10-23 06:12:08 | 只管打坐
◎心は爽やかに正念が明らかに

結跏趺坐あるいは半跏趺坐での禅に効果はあるのか。
効果を求めて坐るのは間違いだが、敢えて坐禅の効果を掲載して、新規の入門者を誘っている。

道元のではない長蘆宗賾の坐禅儀から禅の効果を説く部分。

【大意】
『自ずから身体は軽く安らかになり、心は爽やかに、
正念(無念=念がないこと)が明らかになってくる。このような正法の味わいが精神を助け、おちついて、安らかで楽しくなる。

もし本当の自分にめざめれば、龍が水を得たとか、虎が山に遊んでいるようだと謂うべきだ。
である。よしんば、本当の自分にめざめなくても、風の吹く方向に火を放つようなもので、努力は少しでよい。どこまでも自分が納得することを心懸けよ、決してその努力が君をだますことはない。』

【書き下し】
『若し善く此の意を得れば、則ち自然に四大軽安に、精神 爽利に正念分明にして、法味 神を資け、寂然として清楽ならん。若し已に発明するところ有らば、謂うべし、龍の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。

若し未だ発明するところ有らざるも、亦、乃ち風に因って火を吹くが如く、力を用いること多からず。但だ肯心を弁ぜよ。必ず相い賺(いつわ)らず。』

肉体はさわやかに快適になり、気分爽快、大悟すれば龍が川で遊んだり虎が山で遊ぶように、思いのままになると書いているが、健康で気分爽快なだけでは人生上の諸問題は何も解決しない。また自由気ままに生きるのが如何に周辺に迷惑をかけるのかも気にしない。

かといって、坐禅してもなにも変わらない、何も起きないと宣伝するわけにもいかないので、とりあえずこう言ってみるか、という雰囲気がある。

唐代の禅僧普化は、禅マスターの臨済と一緒に檀家でのごちそうに招かれて、そのテーブルを蹴り倒した。

こんな「効果」を語れば即座に普化に破り捨てられるが、それでもそうせざるを得ない側面はある。


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