アヴァンギャルド精神世界

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敢えて毛沢東を擁護する

2019-06-09 06:42:19 | 究極というものの可能性
鼓腹撃壌への道程

最近テレビやマスコミで、中国人自身が、毛沢東時代は文明的発達が停滞してだめだった、多数の餓死者を出した政策のミス(大躍進政策)を犯した、彼の主導した文化大革命は、実権を失いかけた毛沢東が政権奪回のために仕掛けた権力闘争だったなどと平気で毛沢東の悪口雑言を並び立てるのに驚いた。

そう言っている彼らは少年期に毛沢東語録を振りながら彼を賛美する歌を歌っただろうに。日本は敗戦で価値観が180度転換したが、そういうことが、最近の中国でも起こったということなのだろう。

そこで敢えて毛沢東擁護。

私も毛沢東の侍医の回顧録とか毛沢東付の看護師兼セックス処理係の暴露手記などを読んで、なんだかなあという感じは持っていたが、中国人自身が毛沢東を叩くのはまた違う印象を持つ。

金や財産は、やや不足な方が良い。そんなことを言う人は、この資産運用全盛で、メリットデメリットでものを考える人が圧倒的なこの時代には絶滅危惧種である。

金や財産が、ひどく不足な場合は、今日明日の生活に追われるので厳しい。禅の趙州録みたいな生活は、独身だからできる。

一方金や財産が余っている場合は、自分へのご褒美が増え、ブランド品を買いまくったり、旅行に行きまくったり、更に労せずして資産を増やそうなどと思うものであり、自我強化、自己膨張の、人間精神としては堕落腐敗方向に走りがちなものである。
社会全体がそうであれば、社会全体も腐敗爛熟し、やがて滅亡に至る。

そこで毛沢東は社会全体を清貧にすることで、万民平等に近い精神な精神状態を維持させようとしたのではないかと思われるところがある。

1976年に文化大革命は終了したが、その直後の中国では、男女とも9割方は人民服を着用し、北京の4、5線もあろうかという道路の半分は多数の自転車が占めていた。これは日本人から見れば貧困窮乏だが、敢えてそれを狙ったのかもしれないとは当時思ったものだ。
当時最も高級な品を扱う王府井の百貨店でも贅沢品は贅沢品だが地産の品が多く、西側のブランド品は少なかった。

毛沢東の時代は乏しきを憂えない教育宣伝が徹底していた。奢侈品を見せなければ清貧に居がちなもの。それは西側の情報を統制しているだけではないかという批判もあるが、余計な物質的羨望を抱かせないという点では効果があった。

中国には、理想国家の日常として鼓腹撃壌という言葉があるが、それは清貧な平素の生活を基盤とするものであって、ブランド品を買いあさりモバゲーに耽溺する日常では発生し得ないものだと思う。
毛沢東は、やや不足な生活の効用を知っていたし、それでもって、理想国家の実現も可能であるというビジョンを持っていたのだと思う。

最近アマゾン・ドット・コムのジェフ・ベゾスCEOの妻マッケンジー・ベゾス氏は、ベゾスCEOとの離婚に伴い受け取る370億ドル(約4兆円)の半分以上を慈善活動に寄付すると表明した。資産家が資産の半分を慈善団体に寄付することは、マイクロソフトのビル・ゲイツや著名投資家であるウォーレン・バフェットも行っている。しないよりはする方が良い。

もっともこういう寄付する話は、「寄付する」と言っただけで、実際はしないケースも多いのだろうと思う。東日本大震災で、毎年〇億円寄付すると言った人もいたがどうだったか。
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