アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

本気と情緒パワー-2

2005-08-14 12:34:27 | 只管打坐
情緒的なパワーというのは本気度、真剣さのことであるが、「現実の役に立たない冥想何ぞに取り組むのは愚の骨頂である」という社会通念でもって冥想を理解したならば、冥想修行する動機となる情緒的な気持はふっ飛んでしまう。
クリシュナムーティは、人生について知的概念的な解釈を行っても、通常は冥想するという行動に結びつかないが、自分の人生のあり方に対し情緒的に危険を感じた場合に初めて、本当の解決である冥想に進んでいくと説明する。

『われわれの大部分は、死ぬことと同様に生きることをも恐れている。すなわち家族のことを心配し、世間の批判を恐れ、仕事や生活の保証を失うことや、その他多くのことに恐れを抱いている。
だがはっきりと言える事実は、我々が特定の何かを恐れているのではなくて、ただすべてに対して漠然たる恐れを抱いているということである。では一体どうして事実と直面するのができないのだろうか。

一つの事実と直面できるのは、現在の時点においてだけであるが、あなたがいつでもそれから逃れようとして、現在の事実として受け止めないから、それと直面することができないのであり、多くの逃避の手段を既に作り上げているため、われわれは常に逃避する習慣にとらわれてしまっているのである。

ここでもし、あなたがもっと敏感にもっと真剣になれば、自分が条件づけられていることに気づくだけでなく、その条件づけが招来する危険、それがもたらす残酷性と憎悪についても気づくはずである。その危険がどのようなものかわかった時、どうしてあなたは行動を起こさないのか。それはあなたが怠惰であるため、行動する力を欠いているためであろうか。

いやそうではない。道端に蛇が飛び出してくるとか、断崖の前に立たされたり、火災が発生するといった肉体上の危険が目前に迫った場合には、あなたは直ちにそれに対して行動を起こすであろう。それにもかかわらず、自分が条件付けられていることを知った時になぜ行動に移らないのか。自分の身の安全を脅かすような国家主義の圧力による危険が迫ってきても、あなたはただ手をこまねいて何もしないだろうか。

あなたには危険が迫っているのがわからないのである。知的な分析作業によって、国家主義があなた自身を破滅させるものであることは理解できても、その理解は何ら情緒的な内容を伴っていない。あなたが必死の力を絞って行動するのは、情緒的な内容を持って危険を意識したときに限られる。

従って自分が条件づけられた存在であることを単なる知的な概念として理解した場合は、あなたはそれに対して何も行動をとらないのである。』

※条件付け:われわれの心は、「私」という狭い型の中で特定の文化を母胎にして形成されているということ。
《「自己変革の方法/クリシュナムーティ」》

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8 コメント

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そのとおり。 (山竒)
2005-08-14 20:25:14
まったくそのとおりだと思います。肉体的情緒的な感覚から離れ、頭脳・知的感覚のみで世界を見るようにされていった現代人は人形のように行動力を起こせなくなっていると思います。奴隷ならば情緒的な危機感を持っているため「脱走する」という思考も生まれますが、それすらも失くしてしまった・・・

身をもって危機を感じることがあれば、そのことを忘却することで逃げない限り誰しも必死の行動力を持ってい、それはとりもなおさず「生きている」という感覚なのだと思うのですが。
なるほど (ボス)
2005-08-15 00:35:33
愚鈍な私には理解することが難しい記事ですが、

何となくわかるような気がします。

私は瞑想をしたことがないのでわかりませんが、

瞑想をしようと決心すること自体、普通の人には難しいことではないでしょうか。

自分の中の真実と向き合える人は少ないかもしれません。

なんか曖昧なコメントですみません。
山竒殿へ (湖南)
2005-08-15 05:09:18
コメントありがとうございます。



現代人はなぜ危機を情緒的に感じないかと言えば、現代人は身を持って危機を感じないように毎日洗脳を繰り返されているというのは簡単です。



それでは一体何が危機かといえば、現代社会で常識とされているたとえば『将来良い生活ができるようにするために、子供を高学歴にする』という考え方すらも、利己的な動機として断罪され、戦争の遠因になっているということは、社会から反発を招いてしまうという側面もあり、なかなか実際には難しいです。
ボス殿へ (湖南)
2005-08-15 05:18:21
コメントありがとうございます。



冥想に限らず、何か普段と違うことをしようとする場合には、情緒的なパワーを使っていることが多いと思います。



それが冥想的な方向に向かうのは、冥想に対する認知度があまりにも低いため、残念ながら実際には少ないと私も思います。



自分が本当に気持よく生きるとか、本当に素直に生きたいという情熱がないと、なかなか冥想をしようなどとは思わないでしょうね。
なるほど、なるほど (ボス)
2005-08-15 10:22:31
あぁ、そうですよね。

本当に気持ちよく生きるとか、本当に素直に生きたいということだけが人生の価値であってもいいわけですよね。

シンプルだけど大事なことですね。
肉体的死以上の危機 (山竒)
2005-08-15 23:19:57
「本当の自分として生きるということ」を奪われることが何よりの危機だと思うのですが、そもそも「本当の自分として生きる」と認識する前にそれが奪われているケースがほとんどなのでしょうね。

この世に生まれてのち、自分が立っている場所、自分がいるべきは何処か? など本来ならば幼少年期にクリアしているのが自然なのでしょうに。



しかし何千年(おそらく一万年強)に亙って保守しようとして来たこの虚構ももはやピークを迎えたようです。これから人間界がどの様になるか、いまという時に居合わせた者たち次第ですね。
ボス殿へ (湖南)
2005-08-16 05:52:40
本当に気持ちよく生きるとか、本当に素直に生きたいということは学校でも教えないし、むしろ集団生活や社会に適応するためには邪魔と見られていますからね。
山竒殿へ (湖南)
2005-08-16 06:01:24
「本当の自分として生きるということ」を奪われることが、何よりの危機だと私も思います。



で、本当の自分に出会わされる時代がやって来たはずなのですが、そういう場の雰囲気を読んでいる人の数は、どうも欧米の方が日本より多いみたいですね。



欧米の本屋で、今や本当に危機だから、人生を根本的に見直す方向の書物が飛ぶように売れているという話を他のブログで読んだことがあります。

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