アヴァンギャルド精神世界

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変身のいろいろ

2012-01-22 06:56:51 | 究極というものの可能性
◎単なる転生と神人合一

神人合一とは、あるタイプの変身として伝承される。しかし、単に変身譚として出てきた場合、人間の眼からみた場合、一律に変身の一種として分類されるのだが、その実体は、神人合一から単なる転生までいろいろなケースに分かれる。

ギリシア変身物語集メタモルフォーシス(アントニーヌス・リベラーリス/講談社文芸文庫)によれば、古代ギリシアでは人は神々の力によって、その魂が鳥に変身したり、蛙に変身したり、男が女に変身したり、女が男に変身したり、人が石や樹木に変身したりする。

人の魂が鳥に変身するのは、チベットのど青鳥の物語や日本武尊が白鳥に変身した件のようにわりとあって、定番である。人は地球の転生から他の天体への転生として渡るのも鳥として見る。

蛙のような動物に変身するのも、仏教的な世界観では畜生レベルが輪廻転生に組み込まれており、洋の東西を問わない。

男が女に変身したり、女が男に変身したりするのは、個生命の輪廻転生キャリアでは、よくあることなのだろうと思う。

人が石や樹木に変身するのは、これは文字通りではなく、カルロス・カスタネダのシリーズで時々出てくるが、カスタネダは時空の狭間みたいな場所に取り込まれて出れなくなった人たちを目撃するのだが、そうした人たちのことを石や樹木に変身したと表現したものでないかと思う。

そうした何でもありの変身の中で、ギリシア神話では、一部に不死なるものとなり永遠の世界に挙げられ星座となった変身がある(上掲書第36話パンダレオス:レアーがクロノスを恐れてゼウスをクレータ島の洞窟に隠した時、ゼウスに乳を上げた雌山羊が星座となった)。こうしたものだけが、輪廻転生から解脱したものである。

ただこの内容のままでは、神人合一を啓示せしめるエピソードとしてはインパクトがいまひとつである。



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