アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ディプログラミングとヴィパッサナー

2019-10-14 05:42:50 | マインド・コントロール
◎天災と全知全能

OSHOバグワンは、新時代の政治家養成法として、ディプログラミングとヴィパッサナーが必要だと主張する。

一般にディプログラミングとは、共産主義やカルトに洗脳された人の頭をこちらの世俗社会側に引き戻す手法。

OSHOバグワンのディプログラミングとは、それとは異なり、頭をからっぽにして真空のようにすること。まず先入観をどんどん排除して社会性を取り去っていく。カルロス・カスタネダが修行の一環として、昔の知り合いすべてを一人一人訪問して別れを告げたというのもそれの一種。禅問答も先入観を排除するという意味では似ている。

そして呼吸覚醒ヴィパッサナー。釈迦もこれで悟ったというヴィパッサナー。OSHOバグワンは、その要諦を三つ挙げる。
1.くつろいだ状態でいる。闘いもなく、制御もなく、集中もない。
2.見守る。何でも自分自身の内側で進行していることを目撃している。
3.それについて、どんな批判も評価もしない。見張り人でいる。
(出典:大いなる挑戦・黄金の未来/バグワン・シュリー・ラジニーシ/めるくまーるP46)

OSHOバグワンは、ヴィパッサナーで目撃することを実践していると、思考と感情の雲がゆっくりと消散し、自分の内なる実存が現れ始めるのに気づくとする。

これが実は結構過酷な修行である。
「自分自身に出会うことほど恐ろしいものはない/ダンテス・ダイジ」
あらゆるものが見知らぬって想像するだに恐ろしい。

エゴは常に全知全能でありたいと願っているから、未知しかないというのは、過酷で危険ではある。だが、修行ってそういうもの。

今般のスーパー台風での河川氾濫は報道されている大規模なものは20か所くらいのものだが、小さな洪水は全国で無数に起きた。千曲川などでは二階から降りられぬ人の映像が流されていた。

ダンテス・ダイジは、混乱の時代はクンダリーニ・ヨーガ(死の側から窮める)が必要とされ、平和な時代は只管打坐(生の側から窮める)が必要とされるとする。

更に、只管打坐が栄えるなら人類の生き残りは多いが、いよいよ人類がほとんど絶滅みたいになるならクンダリーニ・ヨーガが栄えるなどという不気味なことも言っている。もっとも只管打坐だけでは次の時代は不足であって、クンダリーニ・ヨーガのデリカシーも必要であるということも言っている。

天災が起こると、我が覚悟も含めいろいろなことに思いを致させられる。
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