アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

想念と感情

2019-06-14 05:33:26 | 究極というものの可能性
◎えり好みを卒業する

大雑把に言って、メンタル体は想念、アストラル体は感情という風に見がちなものである。

想念には現実を動かす力があり、あるレベルで形成された想念は、時間はかかるが、やがて現実として実現する。想念には自分勝手な想念と他人のために利益をもたらす想念がある。ゼロサムの世界、つまり株やギャンブル、仮想通貨などで自分だけ儲けようという発想は、どちらかというと自分勝手な想念であり、これはまず地獄的な世界を推進する動因となる。

公益法人や政府・自治体は別として、この時代の企業に自社の利益を追求しない企業などないし、そうした企業の社員も利益追求を考えない人はいない。だがそんな中にもこの世に天国を実現しようと思って、企業の経営者、あるいは一社員でありながら、利他あるいは誰もが幸せになれる社会を実現しようという人はいるものである。彼ら彼女らは、その狙いを大っぴらにできないながら、密かに仕事のやり方を通じて、誰もが幸せに思う世界の現実化を図るもの。

このように地上に天国のような社会を作りましょうなどという人は、残念ながら現代社会で、まま子扱いなのだ。

通例想念は単独で想念であることはなく、必ず感情がくっついている。そこで、これは好き、これは嫌いということが起こり、人は好きなものは取り、嫌いなものは捨てるものである。

好きなものばかり取っていると、やがてとてもわがままな人間ができあがり、協調性のない人間となり、時にカルトの教祖になったり人間凶器になったりする。だが人間の人格形成の過程では、幼少期には、両親の愛をふんだんに与え好きなものばかり与える時期がないと素直な子に育たないということもある。単線のドグマではうまくはいかない。

えり好みをしない、好き嫌いをしないというのは、無私無欲の姿だが、人にはそれができるタイミングがある。人間がある程度熟成した時期である。

第二次世界大戦後の秩序が本格的に揺るぎ始め、2019年6月13日ホルムズ海峡のタンカーに魚雷が撃ち込まれたなどは、長年最も懸念されてきたことが現実化したものであり、人間熟成という点では、十分に熟したというサインであって、「えり好みをしない」人間に成長する時期が来たのだろうと感じる。
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