アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

自力と他力

2019-03-10 06:24:11 | マントラ禅(冥想法7)
◎自分自身で水を飲んではみたものの

自力と他力と言えば、弥陀の本願に救い摂らせ参らせるなど、自力が他力に転換するなどとと、気軽に転換を語る。自力は大変、他力は容易など、浄土系では言うものの、実際は、自力も困難、他力も困難なのではないかと思う。

阿弥陀仏が自分のことを救い摂ってくれるかどうかは、阿弥陀仏様の匙加減一つであって、自分がやってほしいと思ったからできるという類のことではない。

ロバは馬より一回り小さいし、馬は精悍だが、ロバはのろまな感じを受ける。駄目な禅僧は、自分のことをめくらのロバと称する。

禅ではよく馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることまではできないという。なんとなれば、自分で飲むしかないから。あるいは、冷暖自知す、などとけむに巻く。水辺にあって水を飲まないロバこそがダメ僧だと自称する。

ところが、水ならば馬もロバでも自分で飲める。実のところ最後の一歩は、自分ではどうにもならず、神仏のご加護なくしては成就できない。あらゆるものに対してオープンになってしまい、神にもオープン、悪魔にもオープンになって、発狂か、自殺か、大悟覚醒かというような切羽詰まった状況において、どれに進むか。特に大悟覚醒は自分の意思ではどうにもならないところがあるのではないか。ここに神仏の裁量というかワン・プッシュ、御加護があるように思う。

これは平たく言えば、冥想修業成就の不確実性とみるのだが、それは人間から見た場合の見方ではあるが、修行者にとっては、のっぴきならない現実でもある。
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