アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

役行者が己の骸骨に出会う

2006-11-15 05:49:28 | 修験道
◎トラウマを超えて

修験のパイオニア役行者の出現以前も以後も、奥駆けを中心とした山岳での修練が盛んに行われた形跡はない。それほど当時の山の生活は厳しいものであって、まして何十日も山を縦走しながら修行するというのは命懸けであったに相違ない。

大峯山は古くは金峯山(きんぷせん)と呼ばれ、吉野川の川岸から山上ケ岳あたりまでの山系の総称である。役行者でさえ未踏の新参に踏み込むには慎重であり、初めて大峯山上ケ岳に登ったのは37歳の時(役行者本紀)。

667年役小角は大峯の奥駆けをスタートし、吉野から熊野へ旅立った。役行者が山上ケ岳山頂付近の洞窟で孔雀明王と不動明王を一心に祈念していると一体の骸骨を見つけた。

その骸骨は右手に利剣、左手に独鈷杵を持っていた。すると御告げがあり、「役行者は、この山で生を受け生を終わること7回で、この骸骨は3回目のものである。」そこで千手陀羅尼と般若心経を唱えると骸骨は利剣と独鈷杵を小角に渡した。また釈迦ケ岳には第五生、小笹にはすでに眼窩から若木が生えた第六生の骸骨が残っているとされる。

役行者は、この独鈷杵を鋳直して孔雀明王像を作り、また利剣は八経ケ岳に埋めたがこれが八剣山とも呼ばれる由縁。

役行者は大峯の洞窟で己の前世についてのアカシック・レコードを見たのだろう。

人は、前世やら過去やらで潜在意識に蓄積された傾向によって、その行動や思考を縛られている。それは、最後には必ず自分を振ってくれる人を恋人に選んだり、美少女ゲームにはまってしまうことや、オンライン・ゲーム中毒になったり、果ては、同性愛者であることや、下着フェチや性倒錯や色情狂であることの原因でもある。

人がこうしたことを繰り返すのは、基本的には自分の潜在意識の奥深くにあるトラウマ(外傷体験の記憶)により行動や思考の悪循環を起こしているためである。ところが本来の自分というものは、その悪循環を超えた本当の自由闊達さを生きることができるものなのだ。

役行者は過去世の骸骨を見たことをきっかけに、本当の自分に出会ったかも知れないが、平素からの真摯な冥想訓練により本来の自分に出会う練習がないと、きっかけがあったとしても、なかなかそうなるものではあるまい。

大峯と髑髏と言えば、陰陽師、安倍晴明が花山天皇の頭痛の原因を探ると、天皇の前世の髑髏が大峯の岩にはさまって、雨の日は膨張した岩でしめつけられるため、頭痛がするのだと奏上して快癒に導いた事件もある(古事談)。


    1日1善。1日1クリ。


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7 コメント

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生死を超えた記憶。 (山竒)
2006-11-15 09:07:15
ひとの行動や思考が過去(そして前世)の蓄積に因るものとのこと、納得です。
今回の記事では悪い面の束縛や悪循環を指摘していますが(だからトラウマなのでしょうが)、過去の良好経験が良い行動・思考を促すという、良い面での導きや循環もあるのでしょうね。守護霊というのはこのことを言ったものかなと思っています。

七度目の生を終えた役小角は神変大菩薩となって天に発ったそうですが、これは(この段階の)輪廻の輪から抜け出して行ったというインド的にいえば解脱をしたということでしょうか。死による解脱と、不老不死の仙人のような生による解脱は違うのだろうか、などと最近思ったりしています。
役行者と守護霊 (アンクルなが)
2006-11-15 09:49:41
はじめました。
私のブログにトラバしていただき有り難うございました。
私自身気功家として今ある力は、神の領域と信じています。役行者は静岡県の伊豆と大島を空を飛び行き来したそうです。そんな役行者の力を少しでも体得したいと思い、そして未だ見ぬ役行者さまにお会いしたく、吉野の吉水神社へお参りにいきました。想像どおりの凄みのあるそして、なにかやさしい力をも、見てきました。私が思う守護霊は、生まれたときから、死ぬまでのそして天国や地獄へ行くまでの面倒を見てくださる、産土の神様ではないかと思いますね。生きている人間でしたらだれでもついている神様なんですね。
最後に11年前に、私は神の世界を体験しました。
昨年の私のヤフーブログの11月11日と16日の過去記事です。それから外気功という素晴らしい気功の力をいただきました。
大変に勉強になるトラバありがとうございました。
本日の私のブログに掲載させていただきます。 (アンクルなが)
2006-11-15 09:59:54
おはようございます。

本日の私のブログに、あらためて掲載させていただきますね。ご了承ください。

山竒殿へ (湖南)
2006-11-15 20:49:01
過去の善業が結実して守護霊とマッチして強力になるということはあるものだと思います。善言美詞とは善行を促すものでもあります。

役行者の末路は静寂に示寂したというものが多く、よくわかりません。

また生による解脱というものはないと思います。解脱して後、死の世界に入り、また生にもどるというものかと思います。
解脱してそのまま死の世界から帰らない人の方が多いようですが。
アンクルなが殿へ (湖南)
2006-11-15 21:09:46
はじめまして
コメントありがとうございました。転載までしていただきましてありがとうございます。

ご自分の得難い体験は、貴重なものですから大切にされると良いと思います。

守護霊については、自分で自分のを見れるようになってからコメントしたいと思っています。今後とも宜しくお願い申し上げます。






TBありがとうございます。 (アンクルなが)
2007-04-09 10:00:57
お久しぶりです。お元気でしょうか。
今廃業の危機に陥っています。整体も気功も師範の力があるのに、しかいこれも運命、仕方がないのですね。食べていけなければ、捨てるしかないのでしょうね。
そのような気持ちの時にTBさせていただき、心が晴れてまいりました。
再びのTBお待ちしておりますね。
アンクルなが殿へ (湖南)
2007-04-10 06:08:18
ご無沙汰しています。

食べていかなければ、捨てざるを得ないと考えるのは俗人の立場、神が我を生かしたまふのであれば、食べることは心配することはないと考えるのは真正の求道者の立場。

どちらかフィットしている方を選ばれるのでしょう。

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