アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

乞食桃水、行倒れの乞食を葬る

2019-05-11 04:51:45 | 丹田禅(冥想法8)
◎天皇から乞食まで死ぬことは同じ

乞食桃水は、肥前島原の禅林寺に5年ほど居り、城主にもたいそう気に入られていたが、ある日突然行方をくらました。
弟子の琛州(ちんしゅう)が、その後京都の清水寺の下のあたりで、師匠の桃水を発見した。桃水は、髪も髭もぼうぼうで、着ているぼろは、肩にかかっている程度で、菰を背負って、右手には割れた椀、左手には弊嚢で、乞食仲間と談笑していた。

琛州は師匠と再会した感激で涙もせきあえずいると、桃水は、「何しに来た。今生では会わないぞ」といい、東山の方へ去っていくと、
琛州「一生おそばに仕えます」と。
桃水は、「そんなことは絶対無理に決まっているが、そんなに言うなら」と琛州の袈裟と持ち物を路傍の乞食の家に投げ込んで菰を背負わせ、暮れつ方、大津から坂本のあたりに進んだ。
すると林の間に小さな祠があり、その前に菰を敷いて休んだ。翌日堅田の方に出ると、一人の老乞食が道端に死骸をさらしていた。

桃水は、琛州に近所から鍬を借りて来させ、手ずから穴を掘って、琛州に手伝わせて遺骸を葬った。

琛州は、思わず「不憫なことだ」と嘆息すると、桃水はこれを聞きとがめ、「上は天皇、将軍から、下は乞食まで、死ぬことは同じ。生まれるときも皆手ぶらで生まれ、巨億の富があっても一銭も持たずに死んでいく。ここに気がつかない人は、身分の高い人や財産のある人だけが死ぬときに不憫だと思う。愚かなことだ。」

さて死人の枕元に食べ残しの雑炊があったので、桃水はこれを半分食べ、残りを琛州にも食べろと命じたが、琛州は、汚さ臭さに一口二口で気持ち悪くなって吐いてしまった。一方桃水は、残りをおいしくいただいた。

かくして琛州は師匠との随伴をあきらめた。

人生には、うまい話もおいしい生き方もないが、行雲流水のような人生を生きれる人もいればそれはできない人もいる。
コメント   この記事についてブログを書く
« ヤコブ・ベーメの自動書記 | トップ | 米中貿易戦争とラスト共産主義国 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

丹田禅(冥想法8)」カテゴリの最新記事