アヴァンギャルド精神世界

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富士と鳴門の経綸

2012-09-22 05:48:45 | 古神道の手振り
◎禁足の地を侵さず

経綸とは天地の神業である。

富士と鳴門の仕組

岡本天明が、神業の歴史上、初めて「富士と鳴門の祭り」をしたのだが、以前この話をしたとき、居合わせた年配の大本信徒は、「富士と鳴門は経綸だから祭祀ではない」と疑問を口にした。

なるほど大本の教義上、富士と鳴門の仕組は、「仕組」とあるように経綸(神の計画)だから、祭祀の対象にはならないはずだ。

戦前、大本信徒は、富士山は神体山だから、なるべく登らないほうがよいと言い、富士登山ははばかられた。昭和三年、出口王仁三郎は四国徳島県を巡教した折、鳴門海峡近くを訪れ、地元の大本信徒から名勝の鳴門にお連れしたいとの申し出に対し、「鳴門は最後に行く」と言い、鳴門に行かなかった。

出口日出麿も徳島巡教時、王仁三郎の言に倣い、鳴門海峡には足を運ばなかった。
出口王仁三郎は、そもそも富士と鳴門を禁足地としたのだ(淡路島にも上陸していない)。』(岡本天明伝/黒川柚月/ヒカルランドP366から引用)

木庭次守の「新月の光(上巻)P196」に、九鬼某氏が、昭和8、9年頃大阪毎日新聞に日米戦争の予言を出したのを出口王仁三郎が評して、「これを発表したら神界の邪魔になる」と語ったことがある。

神の経綸で定めたことは、それを個人が侵すような真似はしない方が良いと熟達の古神道家が戒めているのである。

どうしてそうなのかはわからないが、そんなものなのだろう。
 

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