アヴァンギャルド精神世界

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禅の定力

2017-04-26 05:26:35 | 丹田禅(冥想法8)
◎カトリック修道女イレーヌ・マキネスの禅

日本で禅に取り組んだカトリック修道女イレーヌ・マキネスは、その著書「禅入門 -カトリック修道女の歩んだ道 イレーヌ・マキネス/[著] 堀澤 祖門/訳 岩波書店」において定力を次のように説明している。

彼女は、十字架のヨハネの発言を引いて、神は荘厳偉容なビジョン幻視ではなく、いかなる表象や外観、知識を伴わないものである、という理解に到達するには力が必要だとし、その力こそ禅を坐ることによって与えられる、禅でいう定力だと定義してみせる。

『定力とは心が静まり統合され、坐禅で一点集中するときや、日々の生活で「いま、ここ」を意識するときに生じる強い力です。

これは動的な力であり、一度働きはじめると、私たちはより直感的に行動できるようになります。

事実、「予期しない状況に突然陥っても、迅速かつ適切な行動が直感的にとれるようになる」と昔の大師たちは言っています。

定力が作用すると、私たちは激情やまわりの状況に左右されなくなります。こうして、私たちは心の自由と平静さを得ることができるのです。

毎日欠かさず坐禅を続けていると、この力は日ごとに強まります。禅体験が深まるにつれて、短い時間ですが、通常の意識レベルを超えた「サマーデイ(samadhi)」または「三昧」と呼ばれ
る境地に入ることがあります。

三味はたびたびあることではなく、接心の三日目または四日目に起こるのがふつうです。これは精神活動が停止して意識が深層に没入した状態であり、坐禅を終えたときにはじめて、これがつかの間の『空』の体験であったと気づきます。』
(上掲書P70から引用)

三昧には、自分が体験するタイプとそうでない体験ではないタイプがあるが、彼女はそこまでは言及していない。

イレーヌ・マキネスは、定力のことをアントニー・デ・メロ神父(20世紀のイエズス会の人)は、『黙示』と呼ぶ神秘的な力でもあるとした。

冥想が人を正していくのは、科学的証明はできないが、この辺を信じることができないと人は冥想には取り組むまい。

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