アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

狂わず、死なず、正気を失わず

2019-06-13 05:33:43 | クンダリーニ・ヨーガ
◎本山博のマニピュラ

ヨーガ経典を見ると、透視、直観、念力などの超能力を書いているものだから、不如意な生活を生きている人は、時にそういうものを手に入れようとして努力したりもする。だが超能力指向は、人をついには地獄的なものに向かわせるものだから、わきまえた人は超能力を得るために密教修行をしたりはしない。

人は、観想で将来の自分の姿を描き、世間でノーマルとされる努力を重ね、実際に描いたビジョンどおりの姿を実現する人の方が圧倒的に多数で、密教の修法などであの世で将来ビジョンを形成してそれを現実世界に落とし込むというようなことをする人は少数派である。

臍のマニピュラ・チャクラは自己実現のチャクラであって、ここからアナハタに向かうのが現代人共通のテーマ。

クンダリーニ・ヨーギ本山博が、『マニピュラチャクラの超感覚的能力は、客観性に乏しく、危険を蔵している』(超感覚的なものとその世界―宗教経験の世界/本山博/宗教心理出版P33から引用)と言っている。これは、マニピュラの透視や予知がよくはずれることを言っているようなのだが、事実本山博の予言録には大きくはずしているものがある。

だがそれは私の見るところ、現今の世界観、社会観に軸足をおいて、将来を透視、予知しようとした場合、見えるものの解釈をも現今の世界観、社会観に軸足をおいてやるとそうなってしまうせいではないかと思う。

現代は民主主義中心の世界だが、一皮むけば弱肉強食の社会・国際外交のパワー・バランスであって、また私権擁護を優先した法体系で、ほとんどは金で片をつけるという考え方の社会。こうした人間関係と社会と世界の形式は、決して永遠不壊のものではなく、時代が移れば言葉も変わり、正邪善悪の基準も変わり、金で換算できない価値を優先する社会通念の社会すら出現する。

現代人は、思考や感情を、多数ある現実形成チャネルのうち『近代西欧文明型世界観』チャネルに合わせて見るのが、唯一の現実と考えることに慣らされている。ところが、その思考や感情の動きは、全く別の世界観でも見ることができ、解釈も可能なのである。

それを示した一例が、カルロス・カスタネダのドンファン・シリーズだが、そこでは現今の社会性はほぼ放棄されており、まじめな社会人の一部はそうしたものに触れようとも思わないだろう。

いずれにしても、クンダリーニ・ヨーガの窮極は、既存の人間的な世界観をも棄ててしまい、狂わず、死なず(自殺しない)、正気を失わずが大悟への道となるのだが、その辺を考えないとマニピュラチャクラの超感覚的能力は、客観性に乏しく云々というようなことを言い出してしまうのではないかと思う。
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