アヴァンギャルド精神世界

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孔子のスピリチュアル商売批判

2011-05-25 05:40:48 | 究極というものの可能性
◎恒なくんば、巫医を作すべからず

孔子も悟っていない人スピリチュアル商売を批判する。

(先生とは孔子のこと。子路篇)
『先生が言われた、「南方の人の言葉に、『その人が悟ってないと(恒なければ)、チャネリングもスピリチュアル・ヒーリングもやってはいけない』とあるが、結構だね、」
『その徳が究極に至ってなければ、いつも恥をかくことになる。』[という言葉があるが]先生は言われた、「(悟ってなければ)占わないだけのこと。」

(訓読)
子曰わく、南人言えること有り。曰わく、人にして恒なくんば、以て巫医を作(な)すべからずと。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或るいはこれに羞(はじ)を承(すす)めん。子の曰わく、占わざるのみ。』

孔子は、もともと葬儀屋兼スピリチュアル商売を稼業としていたようである。弟子の子路は当然に孔子のことを悟った人だと思っていたが、論語を読む限りでは、孔子は悟っていなかったように思う。その悟ってない言行を材料にして、荘子に盛んに皮肉られた。孔子は晩年に至るまでは、悟ってなかったと思う。

この文は、平生、スピリチュアル商売を一家を挙げて展開しているマスター孔子が、自分が悟っていないことを棚に上げて、他のスピリチュアル商売がたきのことを批判しているという微妙なニュアンスを伝えているように読める。

悟っていない人は、実に思い切ったことが書けるし、言えるし、派手な行動ができるものだ。本当にそれを知る者は言葉でなんか言えはしない。それについては恭敬、謙譲な態度があるものである。

次に悟りのことである「恒」を易経で見たい。





悟りとは何か
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