アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

人間(じんかん)至るところ外国人あり

2019-05-21 06:22:06 | 時代のおわり
◎聖なる空間と貧困大国

コンビニの店員でもスーパーの店員でも軽食屋の店員でも、建設労働の場でも外国人を見ることの方が多い。朝の通勤電車では、中国人、朝鮮人は言うまでもなく、東南アジア系、中東系、場所によってはブラジル系などいくらでも出会うようになっている。

日本の亡国の相については、過去書いているが、このような外国人の跋扈跳梁については、日本人の魂が日本に再生してくることを避けているという傾向を抜きにしては語れない。

外国人の増加については、聖書の「荒らす憎むべき者が、聖なる所に立つのを見たならば云々」を思い浮かべる人も多いと思う。

外国人観光客という日本の寺社信仰的に白でも黒でもない人が大勢押し寄せれば、当然に寺社なる地のパワースポットのパワーは減衰する。本来そのパワーはその地に縁ある善男善女によって維持継承されるべきものだからである。

聖なる空間は、そうした氏子、檀家などによる祭儀、奉斎を通じて何百年何千年と継承されるものだが、そうした空間に異教徒が多数入り込めば聖なるバイブレーションも乱れようというもの。

金もうけのために外国人観光客を招請し、生活水準の維持のために外国人労働者を入れるのは、このように日本の聖なる空間を滅ぼす遠因になっていくのだろうと思う。

聖なる空間とは、世界の中心であり、今ここであるが、最初から世界の中心は寺社仏閣ではないと心得ている人は極めて少数であり、世界の中心は、教育、文化環境で育てられていくのが主流である。

聖なる空間に対して聖なる時間がある。聖なる時間は、時刻に影響されない時間のことだから、日の出であり、正午であり、永遠であり、今ここしかない今のことである。そこから展開する創造、発展、衰退、消滅、再生のサイクルもそこから流れ出す。
聖者覚者の蹤跡には、そうした聖なる時間の香気が残っているものだ。

日本は、戦後長く国民が「飯が食える」時代を享受してきたが、かつての経済大国はいまや貧困大国となり、「飯が食えない」時代も近いのだろう。実のところ今後貧困大国を見に来る外国人も多くはなかろうと思う。
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