アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

キリスト教の最後の審判

2018-05-23 03:49:26 | エクスタシス 夢の夢なる
◎かつて死んだ者も生きている者も

最後の審判(公審判)というのは、人間が死後中有において、閻魔大王の前で個人的に生涯の善悪の軽重を確定させられて、天国や地獄に行くイベントではなく、この世の生きている人のみならず死んでしまった人すべてが再度呼び出されて、みんなまとめて裁きを受けるもので、キリスト教にある。

『よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。

そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。』
(ヨハネによる福音書5章25~29節。)

『また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。

かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。

それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。』
(ヨハネの黙示録20章11~15節)

第二の死とは、自我の死であるとすると上の説は理解できる。我々と全然関係なさそうな過去の死者が呼び出されるというのが注目ポイントである。

自我の死と同時である「あらゆる宇宙の死」において、あらゆる宇宙とは当然地獄も含むのだが、過去地獄に行ったものが再び裁きを受けるとは、過去も未来も含む宇宙が終わるということだろうと思う。

輪廻転生のない宗教で大悟覚醒を展望すると、最後の審判というあらゆる宇宙が死ぬイベントを当然に設定するのだと思う。

◎エクスタシス 夢の夢-34
◎現代文明あるいは現代人のウィークポイント-23
◎マンツーマン輪廻への疑義-2
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