アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ノストラダムス予言と瑞能神歌・霊界物語

2016-09-23 06:17:51 | 時代のおわり
◎世界的災厄と至福千年

ノストラダムス予言は、1999年を過ぎてからほとんど関連本が出版されないようになってしまった。

人が神を知るあるいは神になる(神人合一、身心脱落)という体験とは言えない体験が起きると、その夢にも思わぬ世界の広がりと深さに驚嘆しつつ、自分の過去世も来世も見に行ったりするものだそうだ。

さらにはこの世の始まりから終わりまで見るということもするらしい。この内容についてそのまま書き残すことはしばしば神様のお許しにならないところだから。断片的にしか残されないし、時間の順序もまぜこぜで置くものである。

正神の見せる将来ビジョンを残すという観点でいえば、アトランティス滅亡直後に成立した世界の神話群、旧約聖書、北欧神話エッダ、古事記などで、世紀末における世界的災厄と至福千年の到来が必ずメインテーマとして入ってきたことを想起すれば、同様のモチーフでもってその将来ビジョンを残すだろうと想定される。

要するにノストラダムスも世界の終わりと千年王国の到来つまり人類の進化を幻視したのであれば、その幻視内容では、必ずやそこをメインテーマとして公開するだろうということ。

私の見るところセザールへの手紙が預言詩全体を貫く緯糸であり、預言詩の側は経糸。だから予言詩の地名と年代のヒントを拾っては、当たった当たらぬの議論をするのはあまり意味のあることとは思えない。

ノストラダムスの時代に於いて、預言詩の地名も年代もそれは正しかった。だがそれから400年経って同じことを彼が幻視したら、その内容の中で時間のある世界から予言したものにはずれが発生している。そのずれをもってはずれと認定するのはいかがなものか。

出口王仁三郎は、出口ナオとのパートナー活動開始に際して、明治31年に京都に出た時に伊勢神宮と○○寺の燃え上がるを幻視したがそれと同じことが出口ナオのお筆先に書いてあったとしており、それが正神から来るビジョンであることを確認した。この延長線上にある予言集が、瑞能神歌や霊界物語である。どちらも至福世年たるみろくの世が、七福神に代表されるクリスタル・ピープルによって実現することが基調になっている。

だがこのいずれも大正以前に書かれたものであり、ほとんど一世紀前のものであり、その点での時間軸や地政軸のずれは相当発生している。

昭和に入ってから日本は敗戦となり、日本に来日しなかったクリシュナムルティOSHOバグワンは西洋で世界的ブームとなり、日本では密かにダンテス・ダイジが出現した。
そして阪神大震災があり、東日本大震災、熊本地震と日本は国土自身が禊を盛んにする国であることを国民も知った。

いまや肉体は、筮竹もタロットカードも天津金木も必要とせぬほど世界全体の微妙な動きにレスポンスできるほどに発達した。ノストラダムスの予言詩も瑞能神歌・霊界物語も読まなくても相当にこの時代が、神の側ではない反対方向にスライドしてきてしまっていることを皆感得しているのではないか。時代は、ノストラダムスの予言詩や瑞能神歌・霊界物語の想定以上に厳しい状況かもしれない。

それでも預言者たちは、この3千年1万年のプランだから簡単には崩れない、と言う。
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