アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

父は少(わか)くして子は老いたる

2010-01-06 06:11:33 | 丹田禅(冥想法8)
◎何のために生きるか

法華経の従地涌出品に「父は少(わか)くして子は老いたる」とある。若い父から年老いた子供ができるということである。

曹山の偈では、
「今年の米が足らない時は(今年田不聚)
来年の籾を食べるしかない。(来年田有期)
年の若い父を慕って     (愛他年少父)
なんとしても白髪頭の子を産まなければならない。(須得白頭児)」

神、仏、タオというものは、人の迷惑に頓着ないところがある。石ころの心だ。
今年食べるものがなくても、そんな面倒は誰も見てくれない。けれども人は食べていかなければならない。 

人は、最初「年の若い父」として生き始めるが、そのままでは食うための苦闘、苦悩だけしかない悲惨な人生に終りかねない。だから「なんとしても白髪頭の子を産まなければならない」のだ。悟りを開かなければ、何のために生きるかについての解決などない。

しかし世間的な目で見れば、悟っても、好き勝手な願望が実現するわけでもないし、世間的に成功する保証も何もない。

そんなことは、人生の本質である「父は少(わか)くして子は老いたる」という神・仏と人生との対立の問題とは何の関係もないというベーシックな理解がある人だけが、この問題の構造をわかってくれる。




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