アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ニルヴァーナと覚者の五態

2018-12-08 06:25:29 | 現代冥想の到達点
◎死ぬものとて何一つない未知なる国

人間と神仏を分ける立場にあっては、まず神人合一が一つ。そして神を見た、一瞥、ワンタッチしたという区分に別れ、それとは別に大神・ニルヴァーナが入って来るチャネラーという3区分になる。覚者の定義は、これが前提。

覚者の社会性というのは、あまりまともに論じられることはないのだが、混乱する部分ではある。

1.ニルヴァーナにほとんど四六時中いるのだが、社会生活はほとんど営めない。

ラーマクリシュナなど。臨終正念のように覚醒してすぐ亡くなるようなケースは、社会性という点では、大悟の後社会には出なかったという点で似たようなものだと思う。

2.ニルヴァーナに時々入りながら、社会生活もそれなりにこなす。

こうしたタイプの覚者は、マスに対して布教する人と、その人自身が悟りを生きることで布教はしない人との二類型がある。
これは、現代における理想の生き方だが、こういう人は、昔も今も極めて稀れ。
OSHOバグワン、クリシュナムルティ、ダンテス・ダイジ、出口王仁三郎、空海、一休など。

3.ニルヴァーナには一度出会ったか、一度入ったきりだが、社会生活もそれなりにこなす。
道元など。

4.ニルヴァーナには一度出会ったか、一度入ったが、直後のまともな社会生活を営めない時期。聖胎長養

宗峰妙超の鴨川の河原での乞食生活は有名。出口王仁三郎は六度死んだが、その直後の社会生活ができない時期がこれにあたるのだろう。

5.未悟で社会的にはまともでない時期
未悟の求道者であれば、その人生で必ず悟るというわけではないが、覚者であっても疾風怒濤にあって、社会的に変に見られる時期。

そうした時期は、後世の崇拝者や教団にとって都合が悪いものだから、隠されたり、美化された伝説にされることが多い。

俗人であった時代の釈迦、久松真一の苦悩の時代、侠客気取りの時代の出口王仁三郎など。


死ぬものとて何一つない未知なる国こそ覚者の日常であり、そういう日常ではない自称覚者は偽ものである。


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