アヴァンギャルド精神世界

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大応と戦争

2019-07-19 05:47:53 | 丹田禅(冥想法8)
◎印可をうけて後に外交

大応は、鎌倉建長寺の蘭渓道隆の膝下で修行していたが、25歳にして宋に渡って、杭州の径山の虚堂智愚の門を叩いた。6年間ここで修行し、印可を得て、1267年帰国し、故地鎌倉の建長寺に戻った。
(1276年に径山に近い首都杭州の臨安が陥落し、南宋は事実上滅亡)

ところが、南宋情勢の緊迫とモンゴルからの圧力で、中国語に堪能で交渉力もある政僧として期待されたのか、1270年には筑前に移り、文永の役の2年前1272年には博多崇福寺の住持となって70歳になるまで博多を動かなかった。

1274年文永の役、1281年弘安の役と密教修法にて国家鎮護するのではなく、おそらくは自ら外交交渉もしていたのだろう。そのかいもなく2度元軍に侵攻された。

実際に大応が外国高官と出会ったことを歌う詩もある。

亡国にならなかったのは、北条時宗以下日本国全体が一丸となって戦ったからだとか、神風が吹いたとか言われ、第二次世界大戦の時も神風が吹くものと信じて、皇国の興廃この一戦にありなどと頑張ったが、甲斐もなく敗戦となった。

この度も最初の一歩は踏み出した感じがある。戦争は、ある日突然起こるものでなく、霜を履んで堅氷至るもの。この度こそ自分自身がどうかが問われるのだろうと思う。
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