アヴァンギャルド精神世界

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親鸞のいう浄土

2012-02-24 06:13:56 | マントラ禅(冥想法7)
◎勝本華蓮氏の読み方

「尼さんはつらいよ」の勝本華蓮氏の親鸞のいう浄土の見方。浄土とは、輪廻の一様態であり、解脱・成仏ではないが、生きている人が真実信心を得れば、これを成仏としたという読み方である。

この世で成仏というのは、死後の浄土への往生が重要というポイントを飛び越えており、かなり大胆な考え方だと思う。ところが、親鸞が晩年に自然法爾という立場に行きつくには、そういう考え方をとらなければならなかったのだろうが、外部から親鸞の考え方の変遷を想像すると、とてもわかりにくいことである。

親鸞は要するに、この世で阿弥陀仏なる窮極に一致することを「正定聚不退の位」と見て、その場合は死んで往生するまでもないと見たのだろうか。だとすれば、結構モダンである。

『浄土はどこにある

親鸞の念仏は師の法然とは異なる。法然はいわゆる浄土三部経のうち『観無量寿経』を重視し、これをもとに『無量寿経』に説く第十八願を念仏往生の本願としたのに対し、親鸞は『無量寿経』において、念仏は第十七願の諸仏称名の願であって、第十八願は至心信楽の願で、信心による往生を説くものと解釈した。親鸞は、教えも念仏も信心も悟りもすべて仏の側(他力)からの回向であると解した。

親鸞によれば、真実は人間にはなくただ仏にのみあり、人は「虚仮不実の自己」を懺悔するのみで、真実の信心を仏から与えられるとき、往生が決定すると考えた。そして、この状態をも「往生」とよんだ。さらに晩年になると、その往生決定した位(正定聚不退の位)を如来と等しいとも説いている。すなわち、愚かでなんの修行もできない凡夫が、仏から信心を振り向けて与えてもらったその瞬間に往生し、かつ如来と等しい位になるのである。つまり、この世で往生し、すぐ成仏するわけである。

ではいったい親鸞のいう浄土はどこにあるのか。親鸞は、如来から真実信心をいただいた人の往生する浄土を真実報土、それ以外の人が往生するところを化土として、阿弥陀仏による絶対他力をとくが、最終的には、その阿弥陀仏は色も形もないと説くに至っている。ということは、死後にどこか別世界の浄土に往生するのではなく、この世で往生するわけである。親鸞の考えでは、この世のすべてはそのままで真理にかなっているから、なにもあくせくせずとも、すべてを仏に任せきればいいということになる。これが自然法爾である。

この境地に達すれば、幸せな人生だと思うが、なかなかそうはいかない。そういうと、阿弥陀から絶対他力の信心をもらっていないからだといわれそうであるが、じつは一時、私はその絶対他力の信心をいただいたと信じていたのである。しかしそのあとで天台宗で得度し、あれこれ修行した。何もしない「ありのまま」ほど難しいことはないかもしれない。それはさておき、法然の浄土教の門流には、親鸞以外に宗祖とされる人物がいる。それが時宗の祖の一遍である。』
(座標軸としての仏教学/勝本華蓮/佼成出版社P235-236から引用)


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