◎人は平等ではなくユニーク
中国は、古来から政治が第一の国であって、統治者の良し悪しが、庶民の生活に直接影響する。文化大革命で黄土地帯の農村に下放され、若い時代をヤオトンと呼ばれる黄土の洞窟で不遇の時代を過ごした習近平。
アメリカにはアメリカン・ドリームがあるように、中国では大官となって蓄財することが庶民の夢であり、その夢を実現することは中国人之夢である。
中国の思想統制と言えば、歴史的に焚書坑儒であり、ほとんどの時代が道教・儒教優位だった関係で破仏もそう。まさにそれが現政権でも行われている。
上に政策あれば下に対策ありで、民間が政府の言うことを聞かないのも中国のお国ぶり、そんな中国でも、至福千年の時代の記憶があった。
それが鼓腹撃壌である。要するに君主が厳しく政治統制しなくとも、世間が丸く収まっている時代のこと。
千年王国、至福千年、七福神の時代には、人は吊るされた男のように逆転し、世界樹のように根が上で樹冠が枝が下になる。
自分個人が逆転するだけでなく、社会全体、国全体も個人が主、全体が従と逆転するのだが、その秩序は万人が神を知る、仏を知る、道を知ることで保たれる。
それは個人が主人であり、社会は個人に仕えるためにあることを言う。今は政治も宗教も上意下達だが、次の時代は、個人が王侯のようだ。
そうした時代の農民が種を蒔くのを幻視して、王者のようだと聖者が感嘆するシーンを読むことがある。
その社会は、181位階だが、神主主義であり、そこに宗教はなく、個々人が思春期までに神を見る知るという深遠な体験を経て、社会の構成員全員が神を知っている。現代人がスマホを知っているように神を知っている。
なぜだか人口は少ない。
鼓腹撃壌とは、庶民が働かないで、一日中腹を叩いて拍子をとって歌っていても飯が食えるという聖天子の統治する時代というのが原義。
その時代では、個人は社会の一歯車、体のいい奴隷ではなく、彼は彼らしく生き、彼女は彼女らしく生きる。
すべての人々は平等ではなく、181位階で、10万人に一人大金持ちがいて、金の要る時はその人から出してもらう(出口王仁三郎説)。だがすべての人は、独自・ユニークだが、一人一人が王侯のように堂々と生きている時代。
この四民平等、弱肉強食、市民の基本的人権擁護、私権保護花盛りの時代に、『すべての人々は平等ではない』などというと右からも左からも袋叩きに会いやすいが、万人が神を知る時代とは、そういうものだと思う。
彼は彼らしく生き、彼女は彼女らしくとは、禅の十牛図では、大悟以降に起きるものであって、大悟以前の人のファッションとか、かっこつけとか、表面的なロハス、ライフ・スタイルの話ではない。
中国は、古来から政治が第一の国であって、統治者の良し悪しが、庶民の生活に直接影響する。文化大革命で黄土地帯の農村に下放され、若い時代をヤオトンと呼ばれる黄土の洞窟で不遇の時代を過ごした習近平。
アメリカにはアメリカン・ドリームがあるように、中国では大官となって蓄財することが庶民の夢であり、その夢を実現することは中国人之夢である。
中国の思想統制と言えば、歴史的に焚書坑儒であり、ほとんどの時代が道教・儒教優位だった関係で破仏もそう。まさにそれが現政権でも行われている。
上に政策あれば下に対策ありで、民間が政府の言うことを聞かないのも中国のお国ぶり、そんな中国でも、至福千年の時代の記憶があった。
それが鼓腹撃壌である。要するに君主が厳しく政治統制しなくとも、世間が丸く収まっている時代のこと。
千年王国、至福千年、七福神の時代には、人は吊るされた男のように逆転し、世界樹のように根が上で樹冠が枝が下になる。
自分個人が逆転するだけでなく、社会全体、国全体も個人が主、全体が従と逆転するのだが、その秩序は万人が神を知る、仏を知る、道を知ることで保たれる。
それは個人が主人であり、社会は個人に仕えるためにあることを言う。今は政治も宗教も上意下達だが、次の時代は、個人が王侯のようだ。
そうした時代の農民が種を蒔くのを幻視して、王者のようだと聖者が感嘆するシーンを読むことがある。
その社会は、181位階だが、神主主義であり、そこに宗教はなく、個々人が思春期までに神を見る知るという深遠な体験を経て、社会の構成員全員が神を知っている。現代人がスマホを知っているように神を知っている。
なぜだか人口は少ない。
鼓腹撃壌とは、庶民が働かないで、一日中腹を叩いて拍子をとって歌っていても飯が食えるという聖天子の統治する時代というのが原義。
その時代では、個人は社会の一歯車、体のいい奴隷ではなく、彼は彼らしく生き、彼女は彼女らしく生きる。
すべての人々は平等ではなく、181位階で、10万人に一人大金持ちがいて、金の要る時はその人から出してもらう(出口王仁三郎説)。だがすべての人は、独自・ユニークだが、一人一人が王侯のように堂々と生きている時代。
この四民平等、弱肉強食、市民の基本的人権擁護、私権保護花盛りの時代に、『すべての人々は平等ではない』などというと右からも左からも袋叩きに会いやすいが、万人が神を知る時代とは、そういうものだと思う。
彼は彼らしく生き、彼女は彼女らしくとは、禅の十牛図では、大悟以降に起きるものであって、大悟以前の人のファッションとか、かっこつけとか、表面的なロハス、ライフ・スタイルの話ではない。












