アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

人間の運命についての二つの視点

2014-07-04 04:50:02 | ザ・ジャンプ・アウト
◎人間という形と自由
○自意識と自由

人間の運命については、自分が劣った人類のままで滅ぼされるままになるか、あるいは劣った人類であることをやめて、優れた人類として滅ぼされることを回避するかという文明的な視点がある。

もうひとつの視点としてはドン・ファン・マトゥス流の、人間という形を超越するという、人間の自由の方により着目した視点がある。

最初の文明的な視点では、文明社会が存続するかどうかという、文明そのものへの愛着を残したまま、人間として生きようという意思がある。劣った人類とは、神知らぬ人間のことである。優れた人類とは、少なくとも神に出会ったか。神との合一を経た人間のことである。そんな人であれば、自分が滅ぼされようが滅ぼされまいがそんなことは気にしない。

次の人間の自由の方に重心を置いた視点というのは、はなから文明の維持存続にはあまり関心がないように見える。人間という形を超越するとは、肉体として生きることにすらあまり興味を持っていないようにすら見える。カルロス・カスタネダの修行をみると、アストラル世界での修行が中心であって、肉体生活がどうだったかというのは二の次だ。

こうした世界に生きる人々とは、例えば最乗寺の慧春尼で、境内に薪を積み上げて火をつけてその中で坐禅し、火定に入って、兄の了庵が、「慧春、熱いか、熱いか」と問うと「冷熱は生道人の知るところにあらず」と答えてみせた。あるいは、天仙が肉体のまま虚空に昇るとは、文字通り「出世間の法」であり、たとえば陰長生は、馬鳴生から授かった「太清神丹経」で、薬を調合し、丹薬が完成させ、即座に昇天しないように、その半分を服用した。その後、陰長生は、黄金10数万斤を作り、面識の有無を問わず世間の貧しい人に恵んでやり、三百余歳で平都山の東で白日昇天した。

この二つの視点は、只管打坐かクンダリーニ・ヨーガかということではなく、その人の個性が選び取るものであって、修行法のタイプとはとりあえず関係がないように思う。まずは人間を超える視点を確保して、その後に選びとる。それが自由というものなのではないだろうか。

【チャクラと七つの身体-223】
◎アストラル体-92
2.アストラル体の性質-73
6.睡眠時でも寝ない自意識-2 人間の運命についての二つの視点
(ザ・ジャンプ・アウト277)

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