アヴァンギャルド精神世界

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人間を祀った神社-9

2009-09-21 07:08:22 | 古神道の手振り
◎国家神道の本質

国家神道は、宗教ではなく国家の祭祀とされた。祭祀があれば、その裏付けとなる教義があるものであるが、それは記紀の日本神話くらいのものであり、教義と呼ぶには、あまりにもシンボリックなものに過ぎなかった。そのような「教義」では、仏教やキリスト教義に拮抗すべくもなかったから、「神道は、宗教ではなく国家の祭祀」などと言い張ったのかもしれない。(これはたとえば大日経を教義と呼ぶのが厳しいのと似ている)

宗教であれば、神に近づく修行がメインになるべきところ、祭祀という顕斎のみを取り上げ、明治以来の政権が、国民の政府への献身の動機づけとして国家神道を利用したところが特徴的で、これがその後の日本の迷走の基盤となった。

明治23年の教育勅語は、歴代の天皇を中心とする国体を基本理念とし、一旦戦争などの事あれば、臣民は、義勇公に奉し、天皇制国家を扶翼するためにすべてを捧げなければならないというように、国家神道にもとづいた教育を行うことを宣言した経典であった。

教育勅語の骨子は、日本人なら持っている天皇への忠誠心とこれまた日本人の古来持っている先祖への崇敬心を融合させて、天皇を先祖の親玉と見立てることによって、天皇への滅私奉公を揺るぎないものにしようとする発想であった。

さらに翌明治24年、全国の公立小学校に天皇、皇后両陛下の御真影が下賜され、まずは教育でもって、後の戦争への国民総動員に心理的抵抗をなからしむるための準備が整えられた。

そして大東亜戦争を前にして、天皇の現人神思想が文部省によって明確化されて仕上げとなる。
『天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。』
(昭和10年「国体の本義」文部省) 

国家神道では、これらの根本思想を中心において、政府主導の宮中祭祀の再編、伊勢神宮(内宮)の祭祀の再編を始めとした全国の神社祭祀の再規定、神社の整理、各地護国神社や靖国神社、明治神宮などの神社創建、神官神職の宗教官僚化、ほんみち教団(天理教の分派)や大本教などへの弾圧などが展開されていった。

このように国家神道というのは、大量の人も金も時間も動員したのであるが、求道という視点からは、はなはだ心もとないものであったという印象である。その祭式・修行法のもとで、何人が神に出会ったのだろうか。




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