アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

うしかひ草-弥生

2012-03-19 06:06:22 | 只管打坐
◎牛を尋ねるの段

『牛を尋ねる

すみなれしあやしの竹のあみ戸をいでて、ときしもやよひばかり、いとめなれぬ山ざとなど、こなたかなたまどひありきぬれど、

みしれる人もなく、あしにまかせてゆくに、やや春ふかくかすみわたり、花もやうやうさかりをへて、えむなる空見すぐしがたきを、けふみずばなど、おもひつづけてゆくに、

わか葉の木かげにふじやまぶきの、さとかほりて、きよらにさきみだれたる、こころよからぬかは。

つばなまじりのすみれ、をひわたりたるさま、みちのベおぼつかなくも、うしのゆくゑ、とめたどる。

めもくれ、こころもくれぬ、いざやかばかりゆきがたなからむとは。

おこえ谷こえあされども、つやづやものも見へず、いかばかりこころのうちくるしかりけむ。

おぼつかな なにをしるべに はるのやま
のがひのうしの あとをとむらむ

こころうし たづぬるかひもなきものを
さくらがりとや ひとのみるらむ』

住み慣れた茅屋を出でて、いまや野飼いとなった牛の跡を春3月に追うことになった。見知った人のない野山は、若葉のかげに藤、山吹が咲き、地面にはスミレが咲き乱れ、空の色も艶である。

尾根を越え、谷を越えて捜せども、明白な牛の跡もなく、心は浮かないが、人はこんな自分を桜狩りと見るかもしれない。

石原慎太郎が、NHKの3.11の回顧番組で『相変わらず日本は我欲が支配している。目の前で転んだ人を助けようとはしない、そんな人間ばっかりになってしまったよ、日本は。震災でそれは糊塗されたかに見えるけど、本質は変わっていない。我欲の反省なく、このまま行くと、日本は真っ逆さまに沈む。日本は、滅亡まで行かんだろうけど、震災は、決定的な衰弱の始まりだと思う。』というようなニュアンスの発言をしていた。

今の自分、今のライフスタイル、今のファッション、発想、ブランド、IT文化、そんなものがすべて我欲から来ており、その結末が想像するだに恐ろしいものであると、センスのある人は感じ始めたのだなあと思った。

牛の跡も見つかっていないようだけど。牛を尋ねるのだ。


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