アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

実践する宗教と仏像・神像

2018-07-31 05:33:00 | 冥想アヴァンギャルド
◎仏像・神像の弊害

仏教でも釈迦入寂後数百年は、仏像はなかった。道教でも当初は神像はなかったが、5世紀末頃から神像が現れた。イスラム教にも神像はない。

古神道は、おかげさまで、神像はない。伊勢神宮内宮参拝時の幔幕が吹き上げられる時の「幕の奥には神像はないのだ」と自覚する時の微妙な気持ちを感ずる人も少なくないのではないか。

行が内側に向くには、神像はかえって邪魔であると感じるのは自然なことと思う。

プロ修行者、出家者であれば、神・仏が自分の外側にあるなどとは思うまいが、そうした素養のない一般市民、俗人にあっては神仏は自分とは別であり、外側にあると誤解する原因になりがちである。

もっとも虚空蔵求聞持法を行ずる堂内にも仏像があったり、ラーマクリシュナのように神像にカーリー女神を見たりするというケースもあるので、ひたすら否定というわけにもいかない。

だが、この自分で冥想をするのが求められる時代に仏像・神像は、弊害の方が大きいと感じられる時期に入ってきたのではないだろうか。
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1 コメント

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Unknown (shue)
2018-07-31 22:26:54
信仰というものは段階的であると思います。
ですから、まったく現世に染まった信仰心の薄人にとって、
現在の強力な欲望の対象へのベクトルを
なんとかすり替える必要が発生します。
対象を追い求める人間にとって、いきなり自分の内側に、
しかも対象さえ設定しない方向というのは
不可能というものです。

そういう意味で、エクササイズとして
偶像は必要だと思っています。
しっかりそれを理解している生きた指導者と
確かな教理が伴うことが大切ですが。

であるから私は仏教の仏像って偶像崇拝とは言い切れない
と思いますね。(日本仏教は建物にも執着するほど堕落してますが。)
像だけ固定的に崇拝してしまうことが問題なのであって、
実体の無い物を確固真実としてしまうことが壁であるので。
そこが偶像崇拝を禁じる信仰で明白になってない
ポイントだと思います。

偶像崇拝という固定観念に囚われている訳ですね。

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