アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

十牛図-10

2005-04-12 04:59:48 | 丹田禅(冥想法8)



第八人牛倶忘   
序(慈遠禅師)
迷いの気持が抜け落ちて、悟りの心もすっかりなくなった。仏のいる世界に遊ぶ必要もなく、仏のいない世界にも足をとめずに通り抜けなくてはならぬ。凡聖のどちらにも腰をすえないので、観音の千眼さえ、この正体を見てとることはできない。鳥が花をくわえてきて供養することなど、顔の赤らむ場面だ。

頌(廓庵禅師)
鞭も手綱も、人も牛も、すべて姿を消した。青空だけがカラリと遠くて、音信の通じようがない。真っ赤な溶鉱炉の炎の中に、雪の入り込む余地はない。ここに達して初めて、祖師(達磨大師=中国での禅の始祖)の心と一つになることができる。

ここは、第七身体であり
禅でいう無
仏教でいう空、仏、涅槃
真言では、大日如来
道家でいう道(タオ)
気功なら太極
ヨーガなら宇宙意識、ニルヴァーナ
ヤキ・インディアンの呪術ならイーグル
キリスト教なら神
であり、言葉にならないものを唯一神として仮に名前をつけたものである。従って大日如来などと人格神ぽい名前がついていても人格神のことではない。だから廓庵も慈遠も手のつけようがないことだけを述べている。

ここに到達することを解脱とも言う。

本来もなき いにしえの我なれば
死にゆく方も 何もかもなし
(一休)

コメント (4)   この記事についてブログを書く
« 春爛漫 | トップ | 十牛図-11 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
かっこいいですね (紫源二)
2005-04-30 01:18:05
十牛図の第八図の円は、かっこいいですね。

このブログのデザインもかっこいいです。



紫源二殿へ (湖南)
2005-04-30 06:57:37
第八図の円相には、いつでもはっとさせられます。



第八図まで行っていないほとんどの人にとっては、神にぶちのめされるという恐ろしい体験を経ないと、そこまで行き着けないのがわかっていますから、本能的に、高い空の月のように感じられるのでしょう。

ボクラの太陽 (マックス)
2006-07-14 16:20:51
いくぞおてんこうお~~~~やあっくそてりゃ
マックス殿へ (湖南)
2006-07-15 06:26:38
元気ですね。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

丹田禅(冥想法8)」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事