アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

姜甑山の怨み観

2008-11-12 06:13:07 | 道教
◎現実を動かすモチベーション

姜甑山は、権勢家や富豪に取り入ることはほとんどなかったようだ。姜甑山は、信徒とともに暮らしていたが、出来たての新興宗教教団は大体がそうであるように、極めて質素な集団生活を送っていた。世間一般から見ればあまりに粗末なものを毎度食べていたり、信徒の親戚を頼って諸国を遊行していたようだ。

同じクンダリーニ・ヨーギでも出口王仁三郎は積極的に国政に影響を与えようと要路の人間としきりに交流していたが、姜甑山は、小サークルの中に留まって、ご神業を行なうことと、自分の側の信徒に道通なる悟りを開かせることを第一義としていたようで、タイプがやや異なる行き方となっている。

姜甑山は、非常に人間の怨みを重視する。朝鮮のことだから、人を打ったり蹴ったり、日本人から見れば野蛮な日常のできごとが多々ある荒くれた風土なのだが、その中で非常にデリケートな怨みの扱いを信徒にこまごまと指図しているのは注目すべきだと思う。

『死んだ蠅の鬼神であっても、それが非業の死であれば、天地公事からはずれるものである。』
天地公事は、ここは天地の理くらいの意。蠅の非業の死すらも、この世を悪化させる原因と見る。

『咎めがあればみんな解いてしまいなさい。万一一つたりとも残っていると身命を損じるであろう』
ここは単に身命を損じることを避けるというネガティブ事象を避ける意味だけでなく、もっと積極的な効果を示唆していると思う。
 
『通常言葉で心地よい暮らしと言うのは怨みがない暮らしを言うのである。他人に苦痛を与えれば怨みになって返るし、又、他人を憎めば彼の神明が先に知って怨みになって報応するものである。』
怨みは目に見えないが、アストラル的にはポテンシャルな現実を、良からぬ方向に動かす原因となっているという説明。

『一人の怨恨が能く天地の気運を塞ぐものである』
(以上の4つの『』内は、回天の聖者/姜甑山先生顕彰会刊から引用)

一人の怨恨ですらそうであるならば、通りで行き交うほとんどの人がいささかの怨恨を抱えている現代社会は、天地の気運を甚だしく損なっていることに間違いなし。

全体として見れば、とても霊能力者的な見方ではあるが、アストラル体から肉体までを重層的に見る立場からすれば、怨みが現実を動かすモチベーションとして軽視できないことを強調していると感じる。




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