アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

思想の終りの時代

2022-01-21 03:04:56 | 究極というものの可能性
◎みかけだおしの平和

思想が文明を進展させてきたということはある。
だが、古代エジプト由来の、生にのみスポットライトを当て、死をことさらに見ないようにしてきた、近代西欧文明は、世界核戦争により自壊の時を待つ。

この文明で何が極限に達したかと言えば、いわば強欲であり、自意識は世界全体の富やら権力やら異性をわが物にするまでその限界を認識しようとしない。負けず嫌いというは易いが、自分自身がいつ死ぬかもわからないということや、たとえその野放図な欲望が成就したとしても永続するものではないということを無視してかかった蛮勇の者たちのいさかいの行きつく先は、全面核戦争であって、その心の不安定さは、地球の大変動の引き金にもなっていくのだろう。

セルフ・イクスプレッション、自分に合った職業の成れの果てがそんな末路なのだろうか、マニピュラ・チャクラ。


W.B.イェイツの詩。迷盧は世界の中心の山、須弥山のこと。
『迷盧

文明は箍(たが)瞬が締められ、一つの支配のもとにおかれ、
変幻多様な妄想によって、みかけだおしの平和に
従わされる。しかし、人間の生命は思想にある。

恐怖にめげることなく、めぐる世紀のなかで
がつがつと、むさぼり食わずにはいられない。
むさぼり食い、荒れ狂い、根こぎにし、
はては、実相の荒寥のなかに立とうとする。

さらばエジプト、ギリシアよ、さらばローマよ、と!
迷盧の嶺、エヴェレストの嶺で隠者たちは
吹き積む雪のしたの穴にこもって夜を過ごし、
または、その降雪と身をきる冬の突風に
裸の肌身をたたかせて、悟りに達する。

昼めぐりくれば夜をもたらし、夜明け前には
人間の栄光もその記念碑も露と消えはてるのだと。』
(W・B・イェイツ全詩集/W・B・イェイツ/北星堂書店P183から引用)

イェイツには、ヒマラヤの大聖ババジの存在も感じ取れていたようだ。
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