アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

感応道交

2011-03-01 06:11:56 | 只管打坐
◎不思議なあらゆる悲喜劇の根

道元の修行メモである宝慶記で、道元が師匠の天童如浄に質問するには
「礼拝する者も礼拝される者も、その本性は空寂だが、感応道交することは思議しがたいことであると、昨夜おっしゃったが、それはどういう意味ですか」

天童如浄は、次のように答える。
「感応道交しなければ、諸仏もこの世に出現しなかったし、達磨も中国には来なかった。また経典に説かれる教えを目の敵にしてはならず、従来の仏法を間違いとしてはならない。云々」

人と人とがなぜ出会うかということの原因は、論証できない。だから人の出会いは、感応道交。特に師弟の出会いの感応道交の意義は高い。また俗人にあっては、伴侶あるいは恋人との出会いは感応道交度が高いといえよう。

自分も相手もニルヴァーナ(空寂)の展開の一種だが、滅々に終らず、あらゆる人生の悲喜劇が展開するのは、不思議なコネクションである。

当代、冥想や坐禅に関心を持つのも感応道交の展開である。冥想や坐禅みたいに、時間の無駄や金のもうからないことに関心を持つことは、とても論理的ではなく、不可思議なことであるとしか言えない。







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