アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

仙人の棲む山

2007-03-22 05:28:18 | 気功、導引(冥想法2)
◎岩畳の最期の修行

程聖龍は、山梨県の出身で、内家拳八卦掌の第一人者。小学校低学年の頃から、甲賀流忍術の師匠の下で暮らした筋金入りの気功の達人である。

かれが、ある時仙人の棲む山(中国か台湾かは判然としない)で修行をしていた時のこと。日中でも身体が凍るほどの寒さの山上とのことなので2千メートル級の山なのだろう。そこで、在家の人が最後の修行をするお手伝いをした。

最期の修行者の方々は、一夜を山上の寺で過ごし、翌朝近くの岩畳に坐ることになる。

在家の人が薄い服一枚で、断崖絶壁の上にある岩畳に端座して、朝日を浴びながら読経を続ける。低声の読経に合わせて、カシャンカシャンという錫杖の音が、早朝の凍えきった空気の中に響いているが、時間が経つにつれて、だんだんと読経の声も低くなり、錫杖の音も少なくなっている。

やがてどちらの音も聞こえなくなった。岩畳の上の人達は最後の修行を果たし、その身体は凍結したのだ。

そこでお手伝いをすることになる。この気温では、埋葬する土が穴が掘れるほど柔らかくはないので、やむなくご遺体を後ろから押して、岩畳から下の谷に落とす人手が要るのだ。

程聖龍は、いやでいやでたまらなかったが、毎日次々と凍った最後の修行者を崖から押して、それが朝日の中をきらきらと輝いて雲海に吸い込まれていくのを見続けた。
(参考:仙人入門/程聖龍/東京書籍)

死にに行くということは、生半可な覚悟でできることではないが、どういう理屈かは判らないが、そういう山が中国(台湾?)にあったこと自体が、生とは何か、死とは何かという巨大な疑問を改めて突きつけられる思いがする。

またご遺体を押す行為だけでも、そのご遺体の方の人生の重みを感じさせられる気の重い業である。別に自ら殺人を犯しているわけではないが、自分の生の重みをずっしりと感じさせられる「お手伝い」ではある。

程聖龍は、「生きるために来たはずなのに、死ぬための修行をしてしまうのではないか」などと迷い、この修行で生の何たるかを見切ることができたわけではなかったが、改めて武術と生きることの意味を考えるきっかけにはなった。

なお、この山は最近は様子が変わり、このようなことは行われなくなったそうだ。


    1日1善。1日1クリ。


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8 コメント

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はじめまして (菅野継)
2007-03-22 16:13:11
いつごろの話なのか、それにしても、山に死にに行く、すごい話ですね。そんな覚悟で行きたいものですが!!
残念ですが (元近所)
2007-03-22 23:08:21
程氏の話はすべて創作ですよ。
彼は故佐藤金兵衛先生の弟子ですね。
私自身はファンタジーは大好きですが、彼の若い時を知る人がたくさんいるので・・・。

このコメント不都合でしたら消してください。
菅野継殿へ (湖南)
2007-03-23 05:19:42
初めまして

コメントありがとうございました。
ヒンズーの祭礼のジャガーノートという巨大山車の前に喜んで身を投げる人達など、死を覚悟してこういうことをされる人は時々あるものです。

山に死にに行った人で、中には途中で帰る人もいたそうですから、死ぬと思い切ることはなかなか簡単なことではありませんね。
元近所殿へ (湖南)
2007-03-23 05:35:10
元近所の人ほど、その求道の道筋と悟境の真相はわからないのではないでしょうか。

程聖龍氏とは面識はありませんが、彼はこの著書の中で、これは自分の見聞したことであると書いています。

またその心境は、文章においては、隠れもないもので、創作ならば通常は書かない、自分の都合の悪いこともきちんと書いています。

武術家でありながら、戦場に赴いて腰が抜けそうになったことなどです。

真摯な武術を極めようとする彼の思いを多として、こちらも真剣にこの本を読みました。
湖南様へ (元近所)
2007-03-23 20:49:53
このブログは精神世界の道を真摯に探求されていて、私自身勉強になることが多いです。

しかし、

悲しいですが、世の中には嘘をつくことが平気な人がいるのです。

>真摯な武術を極めようとする彼の思いを多として、こちらも真剣にこの本を読みました。

この文を読んでこの著者への怒りがわいてきました。

私は彼と同じ武術の世界にいる者で、彼の実力もよく知っています。

武術界では極最近まで経歴詐称や伝説の捏造などは当たり前のように行われてきました(実力が有る無しとは関係がないのでややこしいですが・・・)。

今はインターネットなどの普及で騙されるひとは少なくなりましたが、この世界の事情を知らない人の方がまだまだ多いということなのでしょう。

武術の体系の中には確かに精神に関するものや瞑想法はありますが、もっとリアルで身近なものですよ。



元近所殿へ (湖南)
2007-03-23 22:16:24
そうですか。

スピリチュアル系でも、明らかに嘘だなと見抜けるものは、このブログでは言及もしていません。

確かに世の中には自分の利得の為であれば、呆れるほどせいせいと嘘をつく人がいます。

そういう人であるかどうかは、棺を覆ってみるか、面識を持たないとわからないものだと思います。面識がない以上は、貴殿のご意見を参考にしたいと思います。

このブログの師匠の選び方でも書いていますが、程氏が金に汚く、自分の名誉利得にさとい方であれば、ダメでしょうね。

師匠(マスター)はすべからく、
①素直であること
②正直であること
③情熱的であること
④リラックスしていること
が必要です。
湖南様 (元近所)
2007-03-24 02:06:40
>貴殿のご意見を参考にしたいと思います。

ありがとうございます。

武術は元々の性格から人格者が育ちにくい世界だと思います。

実力ある武術の先生でも、教えないならともかく、弟子を試すため(もしくは自分より強くさせないため)にわざと嘘を混ぜたりとかするので、教わる側からすると“素直であること”は師匠の話を鵜呑みにすることも出来ない難しい世界だと思います。

このブログを読んで感じたことですが、武術のシステムの中に瞑想法が入っていて、これをクリアさせる目的もあるのかな?と思いました。

元近所殿へ (湖南)
2007-03-24 07:25:50
このブログでは人格者と覚者は全然違うと見ており、人格者かどうかはあまり気にしていません。

禅では、一旦大悟したら自分より悟境の高い弟子を出すのが義務とされていますが、武術ではそうなんですか。困ったものですね。

武術の中の冥想と言えば、植芝盛平は、稽古の前には必ず1時間半くらい神事を行っています。祝詞奏上、鎮魂帰神などだろうと思いますが、神事の展開が稽古であるというスタンスがあったのだと思います。

肉体と気のコントロールは、その先の深部に通じていることを武術での得道者は知っていたのでしょう。

長時間すわるには、冥想にも体力・気力が必要なので(それだけではないですが)、武術・武道はそのためにも必要と見ています。

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