アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

ザ・プライベート・ファイナリスト

2012-11-27 06:04:19 | エクスタシス 夢の夢なる
◎人間の側に確かなものなどない

現代人は、一人一人が、ザ・プライベート・ファイナリストとして生きている。ザ・プライベート・ファイナリストとは、覚醒を求めて生きる。なぜならば、この地獄的なる人々の多い社会で、本当に生きるという実感を得て、快適に生きるためには、人間であることの限界と哀しみに真正面から向き合って、絶望の淵に落とされて、一度は独り死ぬしかないからである。

独り死んだ先に救済はないかもしれないし、再生もないかもしれないが、孤独に死ぬことに追い込まれるのだ。人は生まれた時も独りで生まれ、死ぬ時も独りで死ぬ。
死を語るのは霊能力者だが、世に半端な霊能力者は多くても、彼らのほとんどは、死の世界のすべてを見切っていやしない。見たこともない死の世界を、話や作り物の映像だけで誰が信じようか。

只管打坐は、まず生の世界を窮め、それによって死の世界をも包括して知る。
クンダリーニ・ヨーガは、まず死の世界を窮め、次に生の世界が死の世界の一部であることを確かめる。その立場に立たない限り、「この世が夢である」という現実を知ることはない。

現代人は安心、安全な保障を求めるものだ。しかしこの世の物事、出来事に安心、安全なものなどない。神の御心のままに移ろい衰え変わって崩れていく。若き日に絶世の美女だった人が何十年後の同窓会で皺くちゃになっているのを見るのは間違いない。元気溌剌精力絶倫だった男が、何十年後に、筋力も衰え老いさらばえて、冠婚葬祭で再会することも確かである。

120年後に誰が生き残っていようか。巨万の財産を得た人があの世に旅立って、そこで贅沢三昧したら真のサクセス・ストーリーかもしれないが、そんな荒唐無稽な話などない。

難波のことは夢のまた夢、本当に確かなものを求める自分の心情に気が付いた人が、「ザ・プライベート・ファイナリスト」である。少なくとも前進のモチベーションを持つ人のことである。まずはそれがないと始まらない。

確かなものは、我々の世界にはない。永遠なるもの、破壊されることのないものは、人間の側になどない。

人間である以上人間の側にないものを確かめるすべなどない。

しかし聖者、覚者はそれがあるようなないような微妙なニュアンスを示唆する。
それが「悟り」である。
そして「悟り」に向かうメソッドとして、メディテーション・冥想という言葉に包括される「生き方」がある。冥想とはまず坐法かもしれないが、むしろ生き方、生きる姿勢であるようにも思う。

冥想あるいは、ある独特な「生き方」による心理コントロール、意識コントロールは、ファイナルステージで、単なる心理現象を越え、人間を別の世界に突入せしめる。これが「悟り」である。

人間にとって確かなものはそれしかない。それにチャレンジすることしか残されていないから、ファイナリストなのだ。

現代人は、悟りについての基礎的理解がない。そこで「悟りとは何か」を書いた。
悟りへのモチベーションはデリケートなものである。
悟りへのメソッドはまず冥想だが、冥想しない大半の人を意識して、「なぜ冥想しないのか」を書いてある。冥想すること自体、時代的にどんどん困難になりつつある。というのはあらゆる洗脳で、意識の時間的持続をそらせようという勢力があるからである。

それでもザ・プライベート・ファイナリストは坐るしかない。




そして、冥想手法として以下のカテゴリーを置いた。手法の分類はダンテス・ダイジによるもの。

冥想の準備
イメージ・トレーニング(冥想法1)
気功、導引(冥想法2)
ハタ・ヨーガ(冥想法3)
カーマ・ヨーガ(性愛冥想)(冥想法4)
ソーマ・ヨーガ(冥想法5)
占星術  (冥想法6)
マントラ禅(冥想法7)
只管打坐
クンダリーニ・ヨーガ
丹田禅(冥想法8)



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悟りとは何か
コメント (2)   この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (野次郎兵衛)
2012-11-27 09:56:06
>そう思っているだけでは、何も本質的なことは起こらないというのが当ブログの主張なんですが。

本質的なことが起こる?
本質的なことって、何ですか?
それは、己(エゴ)が判断するのですか?
もし、本質的なことが起きたとしても、
人間である限りは、人間です。
悟った人間、と悟っていない人間の違いだけです。
(転生を望んでいない場合は、躍起になるのもわかります)

それでも、結局、どうなりたい、というのでなければ、
ザ・プライベート・ファイナリストであってもなくても、
瞑想することは、意識の変容には必要だと思うし、
多次元を甲斐間見るのは、楽しいですよね。

野次郎兵衛殿へ (湖南)
2012-11-30 06:15:02
努力が前提ですが、それは、向こうからやってくる、という基本があります。

楽しいだけでは、世はもたないのでは。

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