アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

行為の道、事上磨錬とバガバッド・ギータ

2019-11-17 06:56:06 | 究極というものの可能性
◎為すべきことしても解脱できる

人は為すべきことをすることでも、最終解脱に至る。

それをカルマ・ヨーガと言ってのけるは簡単だが、実際にそれをするのは簡単なことではない。

王陽明は、政府高官であって、禅もたしなんでいたが、自分の歩んでいく道の本質は、日々なすべきことをなすことで、大悟覚醒に至る事上磨錬であると認識していたのではないだろうか。働きながら悟る、家事をやりながら覚醒する、学びながら光明を得るものだが、王陽明は静坐と呼ばれる冥想法に取り組んでいた。

訓読:人は須く事上に在って磨錬し、功夫をなす、すなわち益あり。(人須在事上磨錬、做功夫、乃有益(伝習録 下))

このやり方は、現代のライフスタイルに適合しているが、冥想が深まれば、働けなくなったり、家事ができなくなったりする段階もあり得る。

古代インドでは、どうしても坐る冥想に力点が置かれがちだが、為すべきことを為すことでニルヴァーナに達することができることもバガバッド・ギータには描かれている。

それは、戦争に向かう若い王族アルジュナが御者にクリシュナを従え、戦場に立つのだが、殺生してはならないという人間として当たり前の徳目を破ることに抵抗があったり、敵方に親族がいたりするので出陣を渋る。これを見てとったクリシュナが、行って殺せ、人は為すべきことを為すことで窮極に至ると諭す。

為すべきことをなすとは、仕事は精密に、家事は手抜きなくなどということ。その積み重ねが人を変えて行く。

こうしたやり方は、一足飛びな冥想に比べれば速度は遅いかもしれないが、「起こることは起こったが、何が起こったのかわからない」とか、別の隘路にはまり込むことを慎重に避けられるということはあるかも知れない。

この時代は既にカウントダウンな危急の時期に入っているのだ。つい先月首都圏は大規模な洪水の危機に晒されたように。
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