アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

自分こそ幻である

2019-11-05 03:51:33 | 現代冥想の到達点
◎ラーマクリシュナ

久々に19世紀インドの聖者ラーマクリシュナを読んでいる。

何が幻かと言えば、自分あるいは我が幻であると言い切っているシーンがある。

チベット密教で空性の修行というのがあるが、この世、あの世のあらゆるものは空性であると観想するのはよい。だが、その行きつくところは、自分も空である。自分即是空であるというのは、とても恐ろしいことである。

だから自分が空であるとか、自分こそが幻であるなどとストレートな表現を、諸聖賢はあまりしないのだろう。

大体最近、瞑想などというと、すっきりするとか、願望が叶うとか、引き寄せるとか、合格祈願とか、身代わりとか、恭喜発財とか、チャクラとかクンダリーニとか、絶対矛盾の自己同一化などといろいろ言っているが、冥想の行きつくところはそんなところではなく、ラーマクリシュナの言う通りの場所がゴール地点。

自分に出会うことは恐ろしいとダンテス・ダイジはわりと言うが、他の方はあまりそんなことは言わない。

だがその一方で、自分が安定的でないとか、自分が幻影だとか、本気で思い込んだら、そんな恐ろしいことはないと皆知っている。

冥想に取り組むというのは、幻影なる自分に出会うということだが、それに向き合わなければ、自分の未来も人類の存続もないというのは、誠に論理を絶したジレンマである。

説得できないので、感じている人だけに語るしかない。
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