アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

旧約聖書の大量殺戮預言

2019-10-05 06:53:46 | キリスト者の秘蹟
◎人類絶滅ビジョンと現文明を残すビジョンがせめぎ合う

旧約聖書の大量殺戮預言といえば、イザヤ書第六章。ユダヤ人は、神の真意をいぶかりながら、破壊を事とする姿が描写される。石屋、猶太の先。

イザヤは主から大量殺戮の指示を受けた。愚民化政策とその先の絶滅。

『主はいわれた。
「行って、この民に言うがよい。」

「いくたびも聞け、しかし悟るな。
いくたびも見よ、しかし分かるな。
この民の心をかたくなにし
耳を鈍く、目を暗くせよ

目で見ることなく、耳で聞くことなく
その心で悟ることなく
悔い改めて癒されることのないために」

わたしは言った。「主よ、いつまででしょうか」。主は答えられた。

「町々が荒れ果てて、住む者もなく
家々には人影もなく
地が無人の荒野と化するまで」
主は人びとを遠くへ移される。
地の中央にすら見捨てられたところが多くなる。
なお、そこに十分の一が残るが
それも焼き尽くされる、
テレビンの木、樫の木のように。
それは切り倒されたとき、切り株が残る。
その切り株とは聖なる種子である。(イザヤ書六章)』
(イスラエル預言者 上/A.J.ヘッシェル/著 教文館P173-174から引用)

ここでは、二度にわたる人類文明の大破壊があると予言している。人類絶滅預言は、いたずらに人の心を滅入らせるもの。かといって陰謀論ものを読むと爬虫類な人間が世を支配して、子羊な弱い大衆がいいようにやられるという、いささか霊がかり、眉唾なストーリーが多く、とても信用できるものとも思えない。

人類絶滅は、ユダヤ王国の滅亡をもって雛型とする可能性もあるのだろうから、ユダヤの型についてもひととおり目を通しておいた方が良いのだろうと思う。大本教団の二度にわたる弾圧だけが型出しではなく、出口王仁三郎はユダヤは大悪に見せて大善をやるとも予言しているから、ユダヤにも型があっても何の不思議もない。
ただユダヤの型は後にペンペン草の若葉しか残さないが如くなので、後の人類はほとんど一からやり直しになるような厳しい末路である。

その点出口王仁三郎の型はまだ人間に優しい。
ノアとナオはペア。ノアは破壊、ナオは復興。
破壊だけではなく復興はペア。禊や大祓の破壊後は、必ず復興の七福神が到来する。古事記には地上天国、至福千年などの超ポジティブな記述なく形成されているので、出口王仁三郎はこれではアカンと思って殊更に七福神を、これは仏教でも、古神道でも、道教でもない土俗的シンボルなのだが、これを重用した。

ダンテス・ダイジは、ユダヤの型と出口王仁三郎の型を意識していて、人類一旦完全絶滅と人類のある程度の部分が残る絶滅の2種の型のせめぎ合いが行われていると見ていたふしがある。その結果が、「現代文明は次の時代にどの程度残るか」ということで測ることができる。

そのせめぎ合いは、政治、軍事、経済だけで行われているだけでなく、日々の我々の行住坐臥がその帰趨を握っているのだが。
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