アヴァンギャルド精神世界

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オウム真理教 無罪主張と死刑

2019-09-08 06:57:18 | マインド・コントロール
◎アンチ・テーゼは呈示されたが

オウム真理教裁判で、教祖が最後の数年は行為能力に疑問を持たれるような状態で、拘禁反応か何かだろうと推測されていた。独房に長期間入ると拘禁反応は出やすいものらしいが、戦後最大の被害者を出した事件の首謀者らしい人間がそのような状況で、何年も裁判を続けるのは、傍目にも異様に感じられた。

オウム真理教事件関連本を精密に読んでいるわけではないが、どうして教祖がそうなったかは、『オウム死刑囚 井上嘉浩すべての罪はわが身にあり 魂の遍歴』などを読んで思い当たることがあった。

教祖は一貫して自分の無罪を主張し続け、いわば弟子たちの暴走が事件の構図であったというような主張を裁判ではし続けたのだが、教祖の裁判において最愛弟子井上嘉浩が、教祖の指示によって犯行が行われたことを証言したことをきっかけに拘禁反応が強く出ることになったようだ。孤立無援を実感したのだろうか。

井上嘉浩がこれを証言した時に、法廷で教祖からは「地獄に落ちるぞ」みたいな恫喝的発言があったらしい。その頃から、他の弟子たちからも一連の犯行が教祖指示によるものだという証言が増えてきたようだ。それはますます教祖自身の拘禁反応を強めたのだろうと思われる。

地獄に落ちるぞというマインド・コントロールを振り切って教祖の指示による殺人などを証言するのは、帰依が深ければ深いほど、容易なことではなかっただろう。

オウム真理教が公安審査委員会の観察処分対象となる以前の時期、オウム真理教は、いわばマスコミの寵児だった。TVの報道番組では、しばしばオウム真理教の宣伝VTRが流され、優れた修行者として井上嘉浩の他の信者とのなごやかな会食シーンの動画が流されたことは、なごやかであったがゆえに印象的に記憶している。

どんな修行をしていたかには関心があったが、彼は空中浮揚という名の膝ジャンプの修行をやらされていたようだ。宗教はすべからく、善いことをして悪いことはしないもの。正師に出会えなければ、修行は正しい方向には進まないもの。

一直線に大悟覚醒に至る者は稀にいるが、出生してくる人で、幼児は別として、生まれながらにして大悟している人間はいない。大悟する人間であっても、まず人生航路上で紆余曲折を経てそれに至る。

出生時に牛のしっぽを捕まえて生まれてきたとしても、牛に乗るまでは時間がかかるものだと思う。白牛だと思ったら、カルトの黒牛だったということもある。

『オウム真理教 偽りの救済/集英社』の著者瀬口晴義氏も似たようなことを言っているが、最初に誤った師に出会っていれば、我らもかの死刑囚になっていたかもしれないという、ヒヤリとする感覚はぬぐえないところがあるものだ。

オウム真理教は、求道とは、外的力による世界変革でもなく、超能力でもなく、神秘体験でもないというアンチ・テーゼを呈示した。その教訓を踏まえた先は、天国と地獄の結婚となるが、それは現代社会の論理の止揚という水平的展開の地平では見つからない。その辺が、事件後25年以上経つが、事件が教訓とはなり得ていない部分である。
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