アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

現世利益と死あるいは新興宗教

2019-08-09 04:13:59 | 冥想アヴァンギャルド
◎人間の究極の救済教は細々と

戦後の新興宗教は、現世利益を旗印にして大をなしたものが多い。現世利益教は、築き上げた財産をあの世に持っていけないのを承知しつつ、我が教団に入信すれば現世利益が大いに得られるなどと説くのだろう。

先日、さる禅宗の坊さんと話す機会があったが、彼は禅宗には現世利益なしと説きつつ、檀家が現世利益教に奪われるのを嘆いていた。現世利益教は、人間関係、近所関係、職場関係で攻めてくるものだから、現世利益のない禅宗はなかなか正面からの反論ができにくいと、ぼやくでもなくぼやいていた。

人間の側に、人間である以上は、何かうまい手があるわけではない。人間である以上は根本的な救いはないというところを強調していけば、むざむざ現世利益教にしてやられることはなかったのではないか。

『人間である以上、人間に救いなどない』というのは、ネクラな響きがあるが、死によって財産も名誉も地位も家族も人間関係も喪失してしまう現実からはそれ以外の結論は出てこないのではないか。

知性の発達したアクアリアン・エイジの人なら、そんなことは他人に言われるまで知らないということはない。そのネクラな部分を忌避せずに見つめさせることを怠った、既成教団の方にも責任の一端はあるのだろうと思う。

現世利益教対人間の究極の救済教の構図を見ると、あまりにも現世利益教が優勢であって、『人間の究極の救済教』は細々と続いているという形勢なのだろうが、ケン・ウィルバーが存命なのを見ると、細々でも研究は積み上げていくということなのだろう。

お盆は、先祖供養の時期。今ここという軸にあっては、過去の一部であるご先祖様の意味も怪しいところがあるのだが、その集大成が自分であると見れば、自分こそが今ここでありご先祖様である。
このように先祖供養には、自己奉斎に帰ってくるアスペクトがある。自己奉斎は、人間の無力さの先にある。


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