アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

儒家の影響と未発の中

2019-06-25 05:06:51 | 究極というものの可能性
◎中華思想の淵源

歴史学者の宮崎市定が、儒家は、人間の理想を人間関係に分解、矮小しすぎたというようなことを言っている。

儒家の世界観といえば、修身斉家治国平天下であって、個人から天下に至る。天下の先は中であって、未発の中が世界の中心となる。

その基調には愛があるのは間違いなく、それは、人間関係である君臣、親子、夫婦などに分解されて五常(仁、義、礼、智、信)となって、君主への忠義や親孝行、夫婦の親和などとなる。

これだけで悟る人もいるのだろうが、この世や森羅万象の無常であることも置き、言葉で表現できない未発の中も置くというのが、ノーマルな宗教。古神道では、幽斎と顕斎をおいて、かたや形のない神様との直面、かたや形ある神様や生物無生物との交感でもって十全とするが、この儒教世界観では、形ある側に偏向していると言わざるを得ないところがある。

平天下までしかない世界観のもとでは、易姓革命の思想が容易に受け入れられるものだが、時代が下がるにつれ、ちまたに善本と呼ばれる功過格が流通していったのは時代自体が自ずとバランスをとったのだろう。

儒家にクンダリーニ・ヨーガ系はないかに見えるが、易経はクンダリーニ・ヨーガ系である。易経は、論語読みの人はあまり気に入らないようだ。理解できないものを理解できないから無視するのではなく、読みこなそうというチャレンジは必要だと思う。八卦384爻で世界を解くのだ。

こうした『時に影響を受けるもの』が主流の世界観が、中国では中華思想を維持してきたと思う。
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