アヴァンギャルド精神世界

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和気清麻呂と偽チャネリング事件

2019-05-30 05:49:54 | 古神道の手振り
◎巨大な満月相を示す

政界にかつて偽メール事件というのがあって人が死んだり、失脚したりした。奈良の昔にも、道鏡の偽チャネリング事件というのがあった。

称徳天皇は、今話題の女性天皇。女性であれば、男性の愛人があっても不思議はなく、称徳天皇は看病僧であった道鏡を愛人としてご寵愛されていた。

761年から称徳天皇の近侍であった道鏡は、既に60台ではあったが、愛人として公私の相談相手として勝手が良かったのだろう。
764年孝謙上皇は、藤原仲麻呂の乱の鎮圧後、天皇に復位し、称徳天皇となった。

この国難の時期の女性天皇を支えた道鏡は、765年には僧籍のまま太政大臣となり、翌766年法王となった。

769年5月、道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人と大宰主神(だざいのかんづかさ)の習宜阿曾麻呂が「道鏡を皇位につかせたならば天下は泰平である」という内容の宇佐八幡宮の神託を奏上し、世間に道鏡が帝位につくことの観測気球を打ち上げた。

既に50台の称徳天皇には、夫もなく子供もいなかった。有力貴族は、道鏡が皇位に就くことに抵抗が強かったのだろう。有力貴族側でもなく、道鏡側でもない和気清麻呂を選抜し、宇佐八幡に一度出された神託の真偽を問うという外形的には不敬なチャレンジに派遣する。

清麻呂は、769年8月、宇佐神宮の禰宜の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)に託宣したが、よりましでありながら、和気清麻呂の宣命を訊くことを拒むという挙に出た。こうした諍いを経て、清麻呂は「わが国は開闢このかた、君臣のこと定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあらず。天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしく早く掃除すべし」という大神の神託を都に持ち帰った。

ところが、この神託に激怒した称徳天皇は、清麻呂を鹿児島に流刑に処す。流刑地に赴く途中、清麻呂は追っ手に足の筋を切られ足萎えになったという。

翌770年8月称徳天皇は崩御。道鏡の目論見は終わった。

運命のいたずらか、道鏡には政界財界の強力なバックグラウンドはなく、おそらくイケメンで話上手だっただけなのだろう。仮に道鏡に強力な門地あれば、容易に帝位を簒奪できたのかもしれないと思う。

藤原仲麻呂の乱後に皇族和気王もチャネラーに皇位を狙うお墨付きを得ようとして後抹殺されたらしいので、託宣を得るというのは、皇位就任の前手順みたいなものだったのだろう。

王法不思議、仏法に対座すという言葉があるが、和気清麻呂は称徳天皇の意図をくみ取って動かなかった空気の読めない奴だったのだろう。そこで、巨大な満月相を示して天皇位の聖なるものであることを、改めて保身せず覚悟をもって神意を表明したのだろうと思う。
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