アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

組織になった宗教

2017-04-30 06:31:26 | 究極というものの可能性
◎あなたが神に気づくようにすることはできない

OSHOバグワンは、カトリックについてはそれなりに前向きにとらえているが、20世紀のカトリックについては、1963年から1978年まで在位したローマ法王パウロ6世は同性愛者(魂への犯罪/OSHO/めるくまーるP40)とし、マザーテレサのことも同様の理由でこき下ろしている。

(こういう流れからLGBT容認が出てきているのだろうか。)

これらを踏まえ
『私は組織化された宗教に反対する。なぜなら、なんであれ組織になった瞬間に、
--それ自身の既得権益を持つようになるからだ。宗教は忘れられ、ほかのことがもっと重要になる。真理と真理の探求には、あなたの全面的なかかわりが必要だ。そのほかのものは途中に入り込むべきではない。

組織化された宗教は牢獄となる。それはあなたに既成の教義を与える。あなたの唯一の機能はそれを信じることだけだ―――合理的、論理的であろうとなかろうと。あなたは自分で試してみてはいけないことになっている。というのも、誰が知ろう?あなたは既成の教義に反するなにかを見つけるかもしれない。

だが、既成の教義は、あなたの光明を得ることにはなりえない。公義はあなたを博学に、学問的にすることはできるが、あなたを賢明にすることはできない。あなたを直感的にすることはできない。
あなたが神に気づくようにすることはできない。』
(魂への犯罪/OSHO/めるくまーるP41)から引用

日本の組織宗教といえば例えば比叡山だが、比叡山から法然、親鸞、日蓮、道元等々日本の有名宗教リーダーが輩出したことを考えれば、十把ひとからげに捨てるわけにもいかないだろう。比叡山は組織宗教ではあるが、専門道場としての宗教であって、バグワンの批判は当たるまい。

つまりバグワンは、大衆化された宗教の在り方を批判しているのであって、教義の理解とそれを信じ込むだけでは、ノーチャンスだと言っているのだろうと思う。

一人ひとりが坐る。教義があるならその出てきた所以の秘蹟を追体験するこういうことが本旨だと言っているのだろう。

カトリックには、スティグマタの出現やら、イエスの臨在やら、ちゃんとそれができている人も勿論いる。そういうちゃんとした人が、たまに出てくるので十分な時代なのか、続々と出すべき時代なのかを問うているように思う。
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