アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

覚者の行動は合理的であること

2015-03-15 06:48:11 | 只管打坐
◎道者の行は、善行悪行、皆おもわくあり

道元は、正法眼蔵随聞記で、覚者の行動は合理的であると、次のような言い回しで語る。
『道者の行は、善行悪行、皆おもわくあり。人のはかる処に非ず』と。
この文章の前の方に、『愧(は)ずべくんば、明眼の人を愧ずべし』とあり、他人の批判を気にするなら覚者の人の眼にどう映るかを自戒すべきであるぐらいの意味だが、これが先の言葉に連動する。

マスコミの誇大壮語の悪影響で、言葉がとても軽い時代である。そうしたところに覚者が現れたとしても、我々は、その行動や言動からその人物が覚者であることを断定できはしない。

なんとなれば、我々は、体験とは言えない体験を経ていないからである。覚者でもトイレを使うかもしれないし、覚者のファッションは決まっていないところがあるかもしれないし、覚者はハゲだったり近眼だったり、毎日食べるために働いているかもしれない。覚者はサーボーグでもアイドルでもないのだ。

時代や世間が覚者の特徴である美点、たとえばフランクであること、嘘を言わないこと、自分の財産や持ちものを他人に差し上げるのに躊躇ないこと、他人に何かしてあげるのに打算のないこと、こうしたことに敏感であれば、世間が本物の覚者をあぶりだすということはある。でも今はそういう雰囲気の時代ではない。

反対にそこへもってきて『この方は政府やマスコミや教団が認めた覚者である』などという証明、オーソライズが入ったとしても、どうやってそれが真正だと思い込むことができようか。

街で人が覚者とすれ違う時に、人は往々にして、その覚者に暗い雰囲気を感じたりすることまであるらしい。

人は覚者すら見分けられないのだから、覚者の行動を正しく評価することなどできないというのが道元の見解である。
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