アヴァンギャルド精神世界

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カルトと本物の宗教の見分けがつかない時代

2015-03-09 03:49:03 | 時代のおわり
◎内面の本当の真実だけが決め手

ヨーロッパで吹き荒れた魔女と魔女裁判の時代は、体制側が魔女裁判を仕掛けたがゆえにその暴虐な事跡は、カルト認定されることはなかったせいか、当事者である体制側の反省なく、うやむやのうちに下火になった。

カルトには様々な定義があるが、反体制側の組織であることがいくつかある要素のうち重要な要素であるあると考えられる。魔女裁判は反体制宗教組織が行えば、カルト、異端として裁かれるはずだったが、体制側だったため厳しく裁かれることはなかった。

これに学んで、現代のカルト宗教は、体制側に組み込まれるように意図的に動く傾向を確認することができる。選挙に出るとか、政党を作るとか、政治献金をするとか・・・・・。

国家神道は、今から見れば、その体裁はカルト宗教みたいなものではないかと思われるが、敗戦になって以降、それについて真剣な反省がなされた形跡はほとんどなく、西洋の魔女裁判同様にうやむやのうちに闇に葬り去られてしまった。なんとなれば、それは政府・体制側が仕掛けたものであったからである。

真剣な求道者にとってカルト宗教は大変危険なものであるが、共産主義社会も無神論を根拠に既成宗教を徹底的に破壊してくるものであるがゆえに危険なものである。

現代の問題は、カルト宗教も真剣な宗教もほとんど似た教義、経典を有しているが故に、素人や初心者の眼にはその見分けがほとんどつかないということだろう。
キリスト教でいえば、聖書を経典にして、ミサも行い、それらしい説教も行っていれば、それがカルトなのか真面目な教団なのかは、部外者には見分けがつかないのではないかということ。

そうしたことを問題にした禅の古い公案がある。(無門関第26則 二僧巻簾)

お斎の前の時間に、二人の僧が、文益禅師こと清涼の大法眼のところに参禅してきた。禅師が黙ってすだれを指差したところ、二人の僧は、すだれをそれぞれ巻き上げた。
すると禅師は、「一人はよろしいが、もう一人の方はだめだ」と言った。どちらが悟っていてどちらが悟っていなかったか。

外面だけ見ていてはわからない。
難しい時代になったものだ。文字を伝えていさえすれば良い時代は過ぎ去った。内面の本当の真実だけが勝敗の決め手になる時代になってきた。

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