アヴァンギャルド精神世界

冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。

愛する者との出会いは、別の生で顛倒す

2012-09-25 05:54:50 | 究極というものの可能性
◎釈迦は釈迦、自分は自分

人生を苦と見ていた、とても厭世的な釈迦が、四聖諦の一つに苦諦を置いた。、苦とは、生・老・病・死だが、愛する者と別れねばならない苦と、憎む者に出会わなければならない苦をこれに加えたのだが、なぜそんなわかりきったことを釈迦が言わねばならなかったが不審に思われたものだ。

OSHOバグワンの、人が前世記憶を知るということの危険性と意義についての説明の一部。
『ブッダはいっている。愛しい者との出会いは喜びをもたらし、厭(いとわ)しい者との別れもまた喜びをもたらす。
愛しい者との別れは悲しみをもたらし、厭わしい者との出会いもまた悲しみをもたらす。ことはこのように認識されていた。ことはこのように理解されていた。

しかし後にわれわれは、愛しい者と感じていた人が厭わしい者となり、厭わしい者と思っていた人が愛しい者となりうることを知るようになった。

すなわち、過去の記憶を思い出すことで、現在の状況が根こそぎ変わってしまうのだ。まったく異なった視野のもとに見わたされるようになるのだ。』
(死 終わりなき生/OSHOラジニーシ/講談社P84から引用)

この視点は、七転生というか、転生の終わりに槿花一朝の夢を見た視点である。この視点に立ってこそ、苦を超克する知性と言える。その理屈がわかっても感情的に納得するかどうかは別だが・・・・。その情動の波が収まれば、直に納得するしかあるまいが。

人生は苦だという釈迦の説明を知的に理解しても、それが気に入るかどうかは別なのだ。釈迦の悟りはあくまで他人の悟り、自分は自分で真理を見つけなければ。


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